わたしはすぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、あなたの持っているものをしっかりと持っていなさい。黙示録3章11節
クリスチャンであれば誰でも感じているように、
このコロナ禍はただ偶然に新種のウィルスが出現し、感染が広がっているのではなく、
神様の永遠の計画がさらに一歩前に進んでいることの証です。
教会の関心事は、(一市民として、公衆衛生上、感染が広がらない対策のために3密を避けることは同じですが)キリストの十字架にあります。
このような時代であるからこそ、いっそうイエスキリストの十字架の下から離れないようにお互いに励まし合いながら努めることです。
イエスキリストの十字架にのみ、この困難を乗り越える道があります。
私たちもコロナの影響を受けているように、
コロナだけでなく、心を揺さぶる激しい試練が様々な形をとってすべての人々に押し寄せてきています。
政治の世界では、高慢な者が権力を振るい、人々を抑圧しようとしています。人々の人権が奪われていきます。
暴力がそれぞれの家庭の中にまで入り込み、言葉において、力において家族の交わりを破壊しようとしています。
離婚がトレンドになり、結婚における苦しみを忍耐する力がなくなってきています。
性的な混乱が広がり、神様が造られた正しい秩序が破壊されようとしています。
人同士の親しい交わりが分断されようとしています。
貧困が日本の家庭にも広がってきています。
私たちもこれらの肉の働きに巻き込まれ、様々な罪が表に現れている現実に打ちのめされそうになることもあります。
私もその例外ではありません。
しかし、どのような困難であろうともイエスキリストの十字架に問題解決の道があることには変わりありません。
それだからこそ、いっそうイエスキリストの十字架を慕い求め、十字架の下にひれ伏し、十字架を避けどころとし、この方の御死を宣べ伝えていかなければなりません。
イエス様は全ての人の魂の拠り所となって下さいます。
今は恵みの時、救いの日です。
今は、たとえどんなに大きな罪を犯していたとしても、神様はイエス様にあって私たちを裁くことなく、寛容な心をもって、私たちが罪を悔い改めること、自分の過ちを認めることを待っておられます。
今は、まだ、さばきの日ではなく、救いの日、恵みの時だからです。
そして、素直にイエス様に罪の赦しを求めるすべての者の罪を赦し、
やがて来る神の本当の裁きから、私たちを救って下さいます。
主よ、どうか罪深い私たちを憐れんでください。