主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

いのちの御霊の原理

神を愛する人々、
すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。                    ローマ8章29節
所感
なぜ、8章を語ったのだろうか。8月の講習会から、心に感じること、語られていることは、
それは、私の心がやはりひどく責められていて、自信を失いかけているなか、心を弱くしてはならないこと。
集会の奉仕が増えたことは、相当の霊的な準備の負担を増している。それは、サタンの攻撃もより一層激しくなることにもなる。
毎日の仕事と、子守と家事、育児で精一杯の上、御言葉の準備のために霊的な時間を備えていくことは、
牧師のように、すべての時間を祈りと御言葉に専心できるわけでもなく、かなりの負担がある。
牧師のメッセージから、御言葉を根拠として、私を責め立て、自信を信仰を失わせようとする、サタンの攻撃を退けていくために、私自身に身言葉の励ましの言葉がとても必要であること。
『ああ、私は枯れ木に過ぎない』と言ってはならない。とイザヤ書から宦官に向けた、主の言葉に励まされ、
御言葉によって、自分自身を支えることが必要であることを、いや必要としていること。それは、今も同じ。

そんな中で、ローマ書8章の聖句の聖句を幾度も心に刻み込みたいと励まされたいと思い、自分のために、この8章を語らせていただいた。
幸いなことに、賜物として御霊をいただいている私たちには、永遠の命だけでなく、御霊自らのとりなしの祈りを日々いただいている。死に打ち勝たれたイエス様のとりなしがあることを知っていることはなんと心強められることか。
しかし、私たちは、私たちを愛して下さった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者になるのです。8章37節
2018.9.9 茅ヶ崎