主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。マタイ24章3節

 弟子たちが、イエス様にこの質問をしたのは、当然のこと、彼らが世の破滅を期待していたからではありません。彼らは、世が終わり、新しい世が来ることを期待して『世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう?』と尋ねたのです。

大切なことは、今の世に見られる様々な混乱や破壊、暴力の世界ではなく、

希望と喜びと調和と平和に満ちた祝福の世界が用意されていることを覚えておくことです。

世の破滅を印象付け、人々を不安で操ろうとする偽宗教とは違います。


エス様は天に昇られる前に弟子たちに世の終わりまで私はいつもあなたがたと共にいると約束してくださいました。

エス様が世の終わりまでと言われた言葉の深さを想わされます。イエス様はご自身が天に戻られた後に起こる終わりの日の前兆を知っていたので、弟子たちにどんなことがあっても、世の終わりまで、あなたたちと共にいて下さることを約束したのち、天に昇られたのでした。

世の終わりとは、クリスチャンにとってはイエス様の空中再臨の日であり、その日、すべてのクリスチャンは復活の体を着せられてイエス様の御下に引き上げられます。すでに眠っていたクリスチャンも一緒によみがえり、イエス様の花嫁としてイエス様と婚宴を迎える日であります。ユダヤ人にとって、世の終わりとは、イエス様が地上に王として来られ、平和な千年王国を樹立される日です。

どちらも大きな艱難の後に来ますが、世の終わりはクリスチャンにとってもユダヤ人にとってもメシヤがこられたことを喜ぶ喜びの日となります。

そして、最後のさばきの日には、死もよみも悪魔も火と硫黄の池に投げ込まれ永遠の苦しみをうけることになります。

父なる神様が計画された世の終わりとは、神と人が共にすみ、もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない世界です。途中、様々な艱難はありますが、この日まで、イエス様はいつもあなたがたとともにいますと約束して下さったのですから、この素晴らしい福音の知らせを喜び楽しもうではありませんか。 

2020.6.7茅ヶ崎集会メッセージ要旨