主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。マタイ24章3節

ユダ族からでたしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻物を開いて、7つの封印を解くことができます。黙示5章5節

1:封印を開かれているイエス様。

エス様が天に帰られたのち、父なる神様から巻物を手渡されました。イエス様が神の右に座されたことの大切な務めはこの巻物の封印を解くことにあったと思われます。

エス様に神のさばきの権威が付与されました。

黙示録6章以下、イエス様が巻物の封印を解き、どのようなことが起こるかが明かされています。イエス様は、すでに2000年も前に天に帰られましたので、巻物の封印は開かれ始めていると考えてよいと思われます。

2:第6の封印が解かれると、主の空中再臨が始まる。

黙示録6章12節以下、第6の封印が解かれると、天の星が地上に落ち、天の万象が揺り動かされます。

6章17節に、『御怒りの大いなる日が来たのだ』と記されています。これはどのようなことを表しているのでしょうか。

マタイ24章29節以下を読みますと、『星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。』とあり、30節に、『人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのをみるのです』と記されています。つまり、第6の封印が解かれた後に起こることは空中再臨であることがわかります。

『御怒りの大いなる日が来たのだ』とはイエス様の空中再臨のことです。

クリスチャンにとっては、空中再臨は、イエス様との婚宴の時であり、喜ばしく待ち望む日です。しかし、この日にクリスチャンとならなかった者にとっては、大患難の始まりの日であり、それは、まさに御怒りの大いなる日と呼んでよいものです。

『苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現れるときにおこります。そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。』Ⅱテサロニケ1章7,8節

注意しておきたいことは、マタイ24章29節に、『だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、』とあり、第5までの封印が解かれるまでも大きな艱難が地上を襲いますが、そのあと時を経ずすぐにと記されていることです。

3:空中再臨の際にも、選びの民が集められる。

マタイ24章31節に『四方からその選びの民を集めます』とあります。この御言葉に関連している聖書箇所は黙示録の7章の前半ではないかと思われます。黙示録7章4節以下、『イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、14万4千人であった』とあります。

これは、空中再臨の際に、クリスチャンとともに引き上げられるメシアニックジューを表しているのではないでしょうか。

7章1節から3節にかけて、四方の風が押さえつけられて、地、海、木にも害を与えない時が用意されていますので、これは8章1節以下の天の静けさを表しているかもしれません。そうすると、この14万4千人は、空中再臨後の地上での大患難が始まる前に選びの民があらかじめ集められる時とも読むことが出来ます。

しかし、私は、異邦人クリスチャンと共に空中に引き上げられるメシアニック・ジューではないかとこの度は教えられました。

4:終わりの時とはいつのことか。

マタイ24章に戻りますが、終わりの時とはいつのことなのでしょうか。弟子たちは心配になり、イエス様に終わりの時がいつのことかと尋ねました。

①終わりの時は、イエス様が地上に来られた時からすでに始まっている。

エス様は宣教の始まりに『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われました。

終わりの時は、イエス様が来られたときからすでに始まっています。(それ以前からと考えてもいいかもしれません)

②終わりの時とは、さばきの時だけでなく、空中再臨の時も示している。

終わりの時が進むにつれ、戦争や疫病や飢饉などの様々な艱難が地上を襲い始めますが、終わりの時とイエス様が言われるとき、大切なことは、イエス様が空中にまで来られることとまたユダヤ人にとっての希望である千年王国が始まることを言われています。

空中再臨はクリスチャンの望みであり、千年王国ユダヤ人の望みであります。

5:第7の封印が解かれ、第7のラッパが吹き鳴らされるときに、千年王国が始まる。

黙示録10章7節『第七の御使いが吹き鳴らそうとしているラッパの音が響くその日には、神の奥義は、神ご自身のしもべである預言者たちに告げられたとおりに成就する』

とあるとおりです。預言者たちが語ったことの要点は、イスラエルの民のためにメシヤが来るということです。

6:私たちは、終わりの日を恐れて待つのではなく、希望をもって待ち望む。

エス様は、マタイ28章20節において『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます』と宣べられました。

これから先、大きな艱難が私たちにも臨むかもしれません。そして、日々一刻一刻、終わりの日は進んでいます。けれども、イエス様がどのような艱難の中にあっても、世の終わりまであなたたとともにいると言われました。

それゆえ、私たちは終わりの日をただ不安に思うのではなく、主が共にいて下さることに平安を覚えて過ごしていくことができます。

また、すべての日本国民に対して、父なる神様は、イエス様を信じるようにと促されており、イエス様を信じ、知ってこそ、この困難な時代にあっても平安に過ごせることを願われている。

2020.1.26 茅ヶ崎集会建徳要旨