いちじく桑の木の下で。ルカ19章4節
人の子は、失われた人を探し出して救うために来たのである。 ルカによる福音書19章10節
1ザアカイの意味は「清い人、正しい人」。しかし誰も彼のことをザアカイとは呼ばず、人々は彼のことを取税人、金持ち、罪人と呼んでいた。
イエス様は彼がエリコの町でどんな評判を受けているか、彼がどんな不正を働いていたか、彼がどうしていちじく桑の木の上にいるかもすべて知ったうえで「ザアカイ」と彼の名を呼んだ。
イエス様の呼びかけには偏見が無かった。
ザアカイは、イエス様が自分の名を呼んでくれた時、心から喜んだ。
2.ザアカイの行動を見てみると、
「どんな方か見ようとした」3節
「前方に走り出て」4節
「急いで降りて来て」6節
「大喜びでイエスを迎えた」6節
とイエス様との出会いを切に追い求めていたことが分かる。いちじく桑の木の上に上ったのも、どうしてもイエス様を見て見たかったからである。
ザアカイは、自分の背の低さという障害であきらめることをせず、群衆の妨げという障害にもあきらめることをせず、イエス様に近づこうとした。
ザアカイにとって、町の人々の評判よりも、イエス様が大切であった。
イエス様は彼の秘められたこの心を知っていたゆえに、エリコの町まで彼を尋ね求めてきたのである。
3.私たちもかつては失われた存在であった。神を見失い、自分を見失い、隣人を見失っていた。
今も、礼拝席の片隅からイエス様がどんな方であるかを知りたいと見つめている人がいるかもしれない。自分なんてまだ早い、まだ信じるにはふさわしくないと臆病になっている人がいるかもしれない。
けれども、イエス様は私たちのイエス様への想いを知っていて下さる。
今日も、イエス様は私たちの名を呼んで下さっている。
ザアカイのように、イエス様に呼びかけに素直に応答するとき、私たちは本来の自分を取り戻すことが出来る。
2021.6.27 茅ヶ崎集会 建徳要旨