主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

その右のももは、アロンの子らのうち、和解のいけにえの血と脂肪をささげる者の受ける分として、その人のものとなる。レビ記7章11節

和解の捧げ物レビ記3章。

 

『そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。』ローマ5章11節
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。ルカ15章23節


1罪に汚れた人は神に近づくことが出来ず、聖なる神は罪に汚れた人に近づくことができません。神と人が再び交わることができるためには両者を取り持つ仲保者を必要とします。神と人との間を取り持つ仲保者となって下さった方がイエスキリストです。


2キリストは人となり、罪人の友となって一緒に食事をして下さいました、ペテロもマグダラのマリアも皆イエス様の傍に寄り添うことが許されました。驚くべきことに彼らはイエス様に触れるとき、イエス様を通して同時に神ご自身に触れていました。なぜなら神は罪のない唯一の人であるイエス様とは自由に交わることができたからです。神はいつの時でもイエス様を通して人に触れられます。


3.レビ記3章に記されている和解の捧げ物は神と人の仲保者となって下さったイエスキリストを表しています。すなわち、罪ゆえに敵対者となっていた罪人が神と和解するための平和の土台となって下さったキリストです。そして、私たちは平和の土台になって下さったイエスキリストをとおして神を大いに喜ぶ者とされたのです。

 

4.ですから、私たちはいつでもイエス様を通して父なる神様に受け入れられています。いつでも父なる神様の愛を受け取ることが出来ます。

いつでもイエス様を通して父なる神様に近づくことが出来ます。ゆえに私たちの祈りはいつでも父なる神様に聞かれています。

 

このような恵みを与えて下さっていることに感謝して、おおいに神様に賛美を捧げようではありませんか。

 

2022.5.22 礼拝メッセージ要旨 茅ヶ崎