主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

それから残りの者は、板切れや、その他の、船にある物につかまって行くように命じた。使徒27章44節

神の奇跡の板切れ。

 

パウロクレタ島からローマに向かう航海はどこかで私たち一人ひとりの人生の航海を表しているかのようです。

4節:向かい風なので

7節:風のためにそれ以上進むことが出来ず、

9節;もう航海は危険であったので、

と航海の初めからパウロのローマ行きを妨げるような風が吹いてきます。パウロはラサヤの良い港で冬を越すことを提案しましたが、船員たちは自分たちの世俗の願いを満たすためにさらに航海を続ける道を選びました。一瞬、都合の良い風が吹きましたが、すぐに嵐が吹き荒れ、大海原を漂流する目に遭いました。いのちの望みも絶たれようとするとき、パウロが船員たちに食事を摂ることを勧めました。パウロが船員たちが意気消沈している時にも自信をもって『元気を出しなさい』と励ますことができたのは、神の言葉を聞いていたからです。彼らは島に近づいてもう助かる喜んだ矢先に浅瀬に乗り上げ、船は大破してしまいました。囚人たちは殺されるところでしたが、パウロを助けたいと思う百人隊長の計らいにより、殺されることなく。彼らは一人ひとり、海に浮く板切れなどにつかまり、助け出されました。

神様の奇跡といういうと嵐を鎮めるとか死人が生き返るとか不可思議な現象を思い浮かべるかもしれませんが、パウロ達がこの航海を乗り切るために遭遇した自然環境、船員、百人隊長との出会いなどこれら一つ一つが神の奇跡といっても良いのではないでしょうか。海に投げ出されたパウロの前に漂ってきた板切れにつかまり彼は陸に上がることができました。この板切れはどこから来たのでしょうか。これはパウロを助けるために神が起こした奇跡ではないでしょうか。日常で何気なく差し出される一枚の板切れの中に神様の深い配慮があることに感謝を覚えようではありませんか。

 

2022.6.12 礼拝メッセージ