『焼き尽くす捧げものと神の義』レビ記1章
これが焼き尽くす捧げ物であり、燃やして主にささげる宥めの香りである。
レビ記1章9節
1レビ記における会見の幕屋の中にある祭壇は十字架を表しています。
2レビ記の1章に示されている焼き尽くす捧げものは、人の罪を負うということが目的ではなく、十字架の死によって表明された自発的な献身ということが目的にされています。
3キリストが人の姿を取り、この地上に来てくださった第一の目的は、ご自身の人としての歩みの全てにおいて一点の汚れもなく、父なる神様にご自身を捧げることにありました。イエス様ご自身にとって神の御心を成し遂げることは、最上の喜びでありました。
4父なる神様は、十字架の死に至るまで御心に従順であられたイエス様の信仰を見られて、イエス様が神の義であることを認められ、御心に満足を覚えられました。それゆえ、父なる神はイエス様を黄泉に捨て置かず、死よりよみがえらせ、さらにキリストを高く上げて、すべてにまさる名をお与えになりました。
5そこで、父なる神様はイエス様への限りない愛ゆえに、十字架にかけられたイエス様こそ神の義を全うされた方であると信じるすべての者を条件なしに義と認めて下さるという新しい約束を与えて下さいました。
6パウロはこの素晴らしい恵みの約束をロマ書3章21節~26節で言い表しています。
『ただキリスト・イエスの贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです』24節
『このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、ご自身を正しい方であることを明らかにして、イエスを信じる者を義となさるためです。』26節。
7私たちはただ主に御前にひれ伏し、イエス様が成し遂げて下さった救いの御業をほめたたえるほかありません。
2022.5.15 メッセージ要旨