聖餐の祝福④ 神との交わりの回復 ~回復の道しるべ~
したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。Ⅰコリント11章27,28節
礼拝のたびごとに、パンと杯をいただくのは、礼拝のたびごとに神様との生きた交わりを回復し、新しい命に与るためです。
イエス様はすべての人のためにただ一度だけ、ご自身を罪のいけにえとして捧げられました。イエス様は私たちの罪過のために幾度も十字架にかかる必要はありません。
すでに罪の赦しは完了しています。
しかし、私たちの側には、日々問題があります。
私たちは神の御旨から外れた歩みを日々積み重ねています。
心の中に罪を隠し持っていると、神様との生きた交わりが妨げられ、
いつのまにか、心は暗くなり、むなしい思いの中に沈み込んでしまうのが
私たちクリスチャンです。(クリスチャンとなっていない人々は、心が暗いことにさえ気が付くことはできませんが)
イエス様は、そのような御旨から外れてしまう私たちのために回復の道しるべを備えて下さいました。その道しるべとなるのが聖餐の時です。
私たちはパンと葡萄酒をいただくたびごとに、イエスキリストの血による罪の赦しを思い起こします。そして、自身の罪を言い表し、イエス様の流された血潮によって私たちの全ての罪過がすでに洗い清められていることを新たに信じることにより、私たちは再び神様との生きた交わりを回復することができます。
パンと葡萄酒を頂くとき、イエス様の血による罪の赦しの恵みを受け、
新しく命に与り、清められ、再び礼拝者として神の御前に近づく者とされたことを確信し、喜びに満たされる場が聖餐です。
イエス様の御手からパンと杯をいただく前のお祈りの中で、
一人ひとりが自分の自身の罪を主の前に言い表すことを勧めます。