11節
・悪魔の策略に対して、
- 悪魔は策略を用います。
この6章は教会の民、すなわちクリスチャンに向けられた言葉です。未信者の人々にとって悪魔は怖いものではありません。未信者の人々はいまだに悪魔の支配下にあるために、悪魔の攻撃、策略の対象となっていないからです。悪魔は未信者には世の楽しみを与え続け神を求めさせないように縛りつけています。
しかし、クリスチャンは神を礼拝する民として新しく生まれ変わったがゆえに、悪魔はクリスチャンたちが神に栄光を帰する生き方を続けることを激しく妨害してきます。
・間違った教えを通してクリスチャンを福音から遠ざけようとします。律法主義に陥らせ、宗教的な努力の世界、人の行いの世界に引き戻そうとします。
・十字架に行くときにのみ、罪の赦しを受けることができますが、十字架の罪の赦しの力を信じさせなくしようとします。
・世の誘惑:世の楽しみの中に引き釣り込み、クリスチャン生活はつまらないと聖書から、礼拝から賛美から教会の交わりから引き離そうとします。
・肉の誘惑(不品行、汚れだけでなく、争い、分派、分裂、ねたみ、怒り、そねみ、憎しみ、殺意、自己卑下、自己憐憫、自己満足、高慢など肉の中にある性質にクリスチャンを閉じ込めようとしてきます。どのような肉の働きに対してもイエス様は十字架の上でご自分の御体の上に、私たちの古き人、肉の働きを釘付けにしてくださいました。ですから、主の十字架を見上げ、そこに私の古き人は主と共に釘付けにされたと信仰を告白するものはその肉の力から解放されます。しかし、悪魔は、イエス様の十字架に救いがあることに心を向けさせないように誘惑してきます。
・恐れを与え、神への信頼を失わせます。
・神への礼拝を妨害します。悪魔は少しづつ少しづつ世の楽しみによって伝道者とまた家族を誘惑し、礼拝への思いを消そうとしてきます。主の働き人は家族の守りにも気を配り続け祈り続けなければなりません。
- クリスチャンは悪魔の策略に立ち向かうことができます。
クリスチャンは悪魔の策略に立ち向かうことができることをパウロは伝えています。
悪魔との闘いはすでにイエス様が勝利していること。
兄弟たちは、子羊の血、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。黙示12:11
・なぜなら、神によって生まれた者は、みな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。Ⅰヨハネ5:5
・子どもたちよ。あなたがたは神から出たものです。
そして、彼らに勝ったのです。4:4
・悪魔は悪知恵を用います。しかし、神の知恵ははるかに悪知恵に勝ります。
悪魔との闘いは、クリスチャンが戦う者ではないこと。を忘れてはいけない。クリスチャンが悪魔と素手で戦おうとしたならば、瞬時に打ちのめされていまいます。