イエスに触れていただくために。 マルコ10章13節。
主の臨在に触れたいと願い、主に御側に少しでも近づこうとする時、主の方からも、私たちに目を留めてくださり、御声をかけてくださる。恐れず、私の側に来なさいと言われる。
主は、私の側に近づき、私の頭の上に手を置き、祝福をされる。御国の支配があなたの上に今日も明日もとこしえまでもあるようにと。
礼拝において、主の臨在を慕い求める心を大切にしたい。
主に近づくことを妨げるものはなんなのか。思い患いか、隠された罪か。主の十字架を思い、主の流された血潮によって、私たちの罪過を洗い清めていただく。
イエス様の血潮によって罪咎が全く赦されていることを信じて幼子のような素直な心をもって真心から主に近づいて行くとき、主の臨在に触れる。
礼拝讃美歌65番に『主イエスのみまえにおのれをさばきて、御霊の交わり、げにさちなるかな』。『主の御前、我らの心は照らされ、恵まる』。とある。主の平和
2018.11.11 茅ヶ崎集会メッセージ要旨