主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。ローマ5章20節

愛はすべてのそむきの罪をおおう。箴言10章12節

 

ある兄弟の人生の証を聞かせていただき、兄弟の人生だけでなく、兄弟の家族全体をイエス様の愛が覆って下さっていることを知ることができました。

家族がボロボロになり、バラバラになるような危機の連続の中でイエス様は幾度もその罪を繕われ、人の思いも超えて家族一人ひとりをふさわしく主を信じる者へと導いて下さったイエス様の知恵と導きの深さ、これらのことを人が予想することも計画することもできませんでした。

 

よく人の言うことは、他人は変えられないが、自分を変えることはできるという話です。

しかし、人には自分を変える力はありません。人はどうしようもなく堕落している存在であり、その堕落の源である罪の性質を自分で変えることはできません。

自分を変えようとする努力は終わりのない修行にすぎません。

しかしながら、

エス様の十字架の血潮には、人を罪の縛りから解放する力があります。

エス様の十字架の血潮には罪を洗い清める力があります。

また聖霊の力により、復活の命によって人は新しく生まれ変わることができます。

 罪の性質がその人の努力によって少しづつ清くなって人が変わるのではなく、

エスキリストを信じた時に聖霊という神の力によって人は新しく生まれ変わります。

しかし、人は新しく生まれ変わったからと言っても、正しく生きられるわけではありません。死ぬまで迷える一匹の小羊に過ぎません。その都度過ちを犯しつつも、イエス様の憐みによって、過ちを恵みに変えていただきながら生きているのです。

 

話は変わりますが、夫婦関係や家族関係のゆがみを是正しようと、だたひたすら自分を変えることに集中することは、聖書の中心的な教えでしょうか。

私たちが、知ることは、

罪の増し加わるところには、恵みも満ち溢れること。ローマ人5章20節

エス様の愛は多くの罪を覆うこと。                 Ⅰペテロ4章8節

エス様の愛は結びの帯として完全であること。コロサイ3章14節

愛はすべてのそむきの罪を覆うこと。                  箴言10章12節  ことです。

 

聖書が教えていることは、

罪が増し加わるところには恵みも満ち溢れるということです。

例え、罪の性質ゆえに欠けの多い、理想とは程遠い夫婦、家族であっても、

キリストにより頼んでいるならば、罪による結果を越えて、神の恵みが満ち溢れるという驚くべき真理です。

さらに、愛はすべてのそむきの罪を覆うと書いてあります。

エス様の愛は、私たちがどれだけ罪深い生き方であっても、その生き方をはるかに超えてイエス様の愛がその生き方を覆って下さるというのです。

 

エス様の愛は結びの帯として完全であると書いてあります。

自分の中に愛が欠けていることを知ることは大切ですが、

自分が誰かを愛さなければならないと自分が愛の人になることを追求するよりも、

エス様の愛は完全な帯であるから、イエス様の愛が夫婦を結び合わせ、

エス様の愛が家族を繋ぎ合わせて下さっていることに信頼していれば良いのではないでしょうか。

 

エス様は私たち一人ひとりの生涯に渡る人生の全体を世代を超えて見渡しておられる御方です。

エス様の愛の広さ、長さ、高さ、深さに信頼して、

自分を変えることに集中するよりも、もっと大きなイエス様の愛に覆われていることを信じて、不完全な私たちの家族関係を主に委ねていくことを学んでいきたいと思います。

2019.9.28 片瀬山集会