みんながあなたを探しております(マルコ1章35節から42節)
旧約聖書の時代から重い皮膚病を患った人は、人里離れたところで過ごさなければならなかった。
だれかが寄ってきたならば「わたしは汚れた者です」と自ら叫び、人を遠ざけなければならない。
ただ一人、村の外で家族に切り離され死を待たなければならない、
会堂に入りたくても入れない、
大勢に人々と一緒にイエス様のそばにいくこともできない。
この人の孤独、悲しみ、喪失、痛みはどれほどであったことか。
イエス様はこの人の孤独の苦しみを知り、他の人が忌み嫌い近寄らない彼のもとへ自ら訪ねて来てくださった。
「汚れています」と叫び、自らを人から遠ざけなければならないこの人がイエス様に出会った時にはそのような叫び声は上げずに、イエス様のところに来ていることにまず驚く。
この人はイエス様に何を見たのか。
汚れ果てたままの私の姿を厭うことなしに、受け入れて下さると愛の方であると直感した。
ここに大切な教訓があります。
神であるイエス様は汚れ果てた私たちをありのままで受け入れて下さる、
近づくことができる御方であるということです。
私たちは罪があるからイエス様に近づけないのでなく、
逆に罪あるままにイエス様に近づくことが許されている。これが福音です。
イエス様は独りぼっちで苦しんでいるあなたのもとにも来てくださいます。
「医者を必要するのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」
マルコ2章17節