神の奇跡の一枚の板切れ
パウロがクレタ島からローマに向かう航海はどこかで私たち一人ひとりの波乱万丈な人生の航海を表しているかのようです。
4節:そこから出帆したが、向かい風なので。
7節:風のためにそれ以上進むことが出来ず、
9節;もう航海は危険であったので。と航海の初めからパウロのローマ行きを妨げるような風が吹いてきます。
パウロはラサヤの良い港で冬を越すことを提案しましたが、船員たちは自分たちの世俗の願いを満たすためにさらに航海を続ける道を選びました。
14節:まもなくユーラクロンという暴風が陸から吹きおろして来て、
一瞬、都合の良い風が吹きましたが、すぐに嵐が吹き荒れ、船は大海原を漂流する目に遭いました。
22節:しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。
いのちの望みも絶たれようとするとき、パウロが船員たちに食事を摂ることを勧めました。
パウロがその時自信をもって『元気を出しなさい』と励ますことができたのは、神の言葉を聞いていたからです。
彼らは島に近づいてもう助かると喜んだ矢先に浅瀬に乗り上げ、船は大破してしまいました。
囚人たちは殺されるところでしたが、パウロを助けたいと思う百人隊長の計らいにより、殺されることなく。
彼らは一人ひとり、海に浮く板切れなどにつかまり、助け出されました。
私たちは神様の奇跡というと嵐を鎮めるとか死人が生き返るとか目立つような大きな現象を思い浮かべるかもしれません。
パウロが生還できたのは、偶然にも海に投げ出されたパウロの前に漂ってきた板切れにつかまることができたからでした。
この板切れはどこから来たのでしょうか。これもパウロを助けるために神が起こした奇跡ではないでしょうか。
日常で何気なく差し出される一枚の板切れの中に神様の深い配慮があることを覚え神に感謝を捧げます。