旧約聖書が預言しているイスラエルの国はイエスキリストが王となってもはや戦いの無い平和な国であり、今あるイスラエルは聖書の預言の成就ではありません。
(1948年のイスラエルの建国は聖書の預言の成就ではありません。しかし、政治的イスラエルの建国は預言の成就の始まりではあります。)
旧約聖書に預言されているイスラエルの国は人の間違った熱心さで武力によって建て上げるような国ではありません。
神様の熱心さ、誠実さ、真実さによって建てられる国であり、
人が力づくで守らなければ立ち行かないような国ではありません。
イエス様の再臨に備えて、人がイスラエルの国を守るのではなく、
イエス様の再臨によってはじめてイスラエルの国が始まるのです。
諸国の民もイスラエルを尊敬し、平和な世界が実現します。(ただし、千年間イスラエルの国が続いた後、最後には再び諸国がイスラエルを攻めてくる日が来ます)
なぜ、現代のイスラエルの国は武力でパレスチナを攻めるのでしょうか。
一言でいえば、ユダヤ人はイエス様が救い主であることを信じていないからです。
イエス様を信じていないので、ユダヤ人は聖書に含まれている新約聖書を信じていません。
わたしが、ここに書いたことは旧約聖書にも預言されていますが、
新約聖書ではイエス様ご自身がイスラエルの民に向かって語っています。
イエス様を信じていないのでユダヤ人はイエス様の言われた言葉に耳を傾けられないのです。
わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。
主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。主であるわたしがこう告げる。エゼキエル書34章23、24節
(ユダヤ人の中でもクリスチャンになった人々は存在しますが)、聖書に預言されているイスラエルではその国民はすべてイエスキリストが救い主であり、自分たちの王であることを知っています。
このとき、彼らは、わたしが主で、彼らとともにいる彼らの神であり、彼らイスラエルの家がわたしの民であることを知ろう。-神である主の御告げー
エゼキエル書34章30節
今はパレスチナを始め、イスラム教徒も含め全世界はイエスキリストが彼らの神であることを未だ知りませんが、
聖書に預言されているイスラエルが興る時には、
イスラエル以外のすべての諸国の民もイエスキリストが諸国の民の神であることを知ることになるというのが聖書に記されていることです。
民族は民族に、国は国に対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
マタイによる福音書24章7,8節
今の時代は未だ産みの苦しみの時代です。
産みの苦しみの時代は、その苦しみを味わう中で、イエス様の再臨が近くなっていることを悟り、主ご自身に会う備えをする期間です。
今はまだ恵みの時、救いの日であり、主の御名を呼び求める者はみな救われる時です。
私たちクリスチャンの望みは
イエス様が再び雲に乗って空中まで降りて来てくださり、
瞬時に復活の体を着せられてイエス様の御元に引き上げられ、
イエス様と婚礼の時を喜び楽しむ時が来ることです。
その後、地上に大患難の時代が来ますが、
そのあとにイエス様は地上にまで降りて来られ、王となって戦いの無い平和な御代を
治められます。
この時、神に選ばれたイスラエルの民はイスラエルの地に集められ一つの国となります。
2023.10.15 茅ヶ崎 建徳要旨