主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

神の恵みがその上にあった。ルカ2章40節

不思議なこと。

2023年は主日の礼拝で始まり主日の礼拝で終わることができました。

神の民にとって礼拝に始まり礼拝に終わることのできる一年であったとはなんと恵みに満ちた一年であったことでしょうか。

一つ皆様にお尋ねしますが、今年の1月1日に、今年中にあった数々の出来事を予め予想できた人はいるでしょうか?誰もいないと思います。

今年、一年の中で思いがけない出来事、予想もできなかった出来事があった人はいるでしょうか。いくつもあったと思います。思いがけないことが起こったということは、それは神様が与えて下さった出来事の証ではないかと思います。

思いがけない時、私たちは驚き、困惑し、あるいは予想以上の祝福と導きに神に感謝と祈りを捧げます。

想定外のことが起こる一年間であったとしても、

この年の終わりの主日にまた皆様と一緒に礼拝を捧げられているということは、

私たちのこの一年間の物語の上に、ルカが記したように私たちにも『神の恵みがその上にあった』と言えるのではないでしょうか。

 

39節
さて、彼らは主の律法による定めをすべて果たしたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰った。

ルカはこの1節でイエス様の幼少期をまとめている。

エス様の家族は、順調に主の律法による定めを果たして、
順調にナザレの町に帰った。そしてナザレの町で思春期を送り始めたように記している。
しかし、この一節の中には、大変な大事件が彼らの生活に襲い掛かっていたことを私たちは覚える。それは、ベツレヘムで起きた大虐殺の事件である。
星に導かれた博士たちの訪問を受けたその夜直ちに、彼らはみ使いのお告げを受け、ただちにベツレヘムを抜け出し、エジプトへの逃避行を実行したのだ。
 

実はこれは非常に不思議なことだ。なぜなら、ルカは福音書を記す最初にすべてのことを初めから綿密に調べて、順序だてて書き記すと宣言してから書き始めているのだ。

なぜ、これほどの大きな家族に起こった事件、博士の来訪とエジプトへの逃避行、ヘロデ王の大虐殺を記さないでおけたのか。

ルカは、イエス様の幼少期を次の言葉で締めくくっている。

『神の恵みがその上にあった』
彼らにとって逃避行は大変な旅であったはずだ。

しかし、振り返れば、
その旅はもっとも必要な時に備えられ、急ではあったが旅の必要も備えられ、

そして確かにほかの幼子達が虐殺された事実は嘆かわしいことではあるけれど、
聖家族は守られた。

エジプトへの避難においても安全が与えられ、
そして無事にナザレの町に戻ることができた。
その上にとは、これらの思いがけない出来事のすべての上に神の恵みがあったというふうに私は読むことができたのです。いかなる事が私たちの生活に起ころうとも、

神の愛のまなざしは私たちに注がれ続けている。神の誠実さ、真実さは私たちの人生の波風によって変わるものではない。

神は私たちを愛しているがゆえに、

神は神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ローマ8章28節

ということが『神の恵みがその上にあった』という意味につながるのではないでしょうか。

 

『今あるは神の恵み』
第一コリント15章10節
ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

詩篇103篇
4節 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。
8節 主は憐み深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。
11節 天が地よりも高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。
17節 主の恵みはとこしえから、とこしえまで
詩篇106篇
45節 主は彼らのために、ご自分の契約を思い起こし、豊かな恵みゆえに、
彼らをあわれまれた。

詩篇23篇
6節 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。

2023.12.31 湘南コミュニティーチャーチ 礼拝

 

 

神様の「恵み」とは?
I. 初めに
現代の私たちに対する神様の態度は、恵みとあわれみと平和に満ちています。恵みとは、「あふれるばかりの神様の好意」です。神様は、私たちに好意を示されますが、私たちにはそれを受け取る資格がありません。ですから、私たちは救いをただで受けるのです。恵みという言葉は、聖書の中に160回以上出てきます。そのうち128回は新約聖書に出てきます。神様は、「あらゆる恵みに満ちた神」と呼ばれるのです(1ペテロ5:10)。 キリストは、「恵みに満ちているおかた」(ヨハネ1:14)です。聖霊は、「恵みの御霊」と呼ばれます(へブル10:29)。このようにして、三位一体の神様は、恵みで密接につながっているのです。
II. 定義
旧約聖書で恵みという語は、「身分の低い者に対して親切にするとか、身をかがめる」という意味で使われています。新約聖書では、「好意、誠意、慈愛」を意味します。
以下の定義は、恵みとは何かをよく説明しています。
A. 恵みとは、それを受けるにふさわしくない対象に対して示された、愛です。神様は愛です。しかし、その愛が、犯罪者や汚れた者や神に逆らう罪人に注がれると、それは恵みです。
参照:https://bbn1.bbnradio.org/japanese/