祈り
主イエス様、あなたが私の救いとなってくださった日から多くの月日をあなたと共に過ごして参りました。
ふつつかなしもべですが、あなたは私を見捨てず見放さず、あきらめず、
私の主、私の良き牧者でいて下さるこの絶大な恵みを
今日のクリスマスの日に感謝いたします。
このふつつか者の過ちをいつも見過ごして下さり、ある時は𠮟責し、あるときは汚れをぬぐいとって下さり、ある時はあなたの御翼の影に覆って下さり、悪魔からの激しい誘惑と攻撃から守って下さいました。
私の罪の行いを見れば今も滅ぼされて当然の私ですが、私の罪の贖いのためにご自身のいのちを神にささげて下さったその尊い犠牲が完全であることを信じ、このふつつかなしもべが今日も罪ゆるされていることを信じ受け入れ、感謝を捧げます。
今日から始まります新しい人生を主ご自身に捧げます。
どうか主ご自身の栄光が現わされますように。
9節:すべての人を照らすまことの光。
イエスという一人の人としてお生まれになった救い主はこの世に人として生まれる前より、永遠に存在されている神ご自身でした。
この御方は神のことば、永遠の真理であり、
この御方は造られた方、永遠の創造主であり、
この御方は、いのち、すべての生きとし生けるものの根源的ないのちであり、
この御方は、人の光でありました。
この御方は、罪の暗闇に閉じ込められ苦しんでいる人に光を与えるために自ら人の姿をとってこの世に生まれようとしていました。
10節:世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
私たちは罪の虜となり、盲目になってしまいました。私たちはだれに造られたのかを忘れ、どこから来たのかを忘れ、何の目的のために生まれたのかも忘れ、知らずにいます。
神は私たちを愛するために創造され、人は神に愛されるために存在し、神は、人が神の愛を知り、人が神を愛することを至上の喜びとするにもかかわらず、その愛の応答が交流が途絶えてしまっていたのです。
神は神と人との愛の交わりを回復し、神と人が、そして人と人が互いに愛し合うことの喜びを回復させるために、御子をこの世にお遣わしになったのです。
11節;この方はご自分の国に来られたのに
2023年前、この方はご自分の国であるユダヤのベツレヘムで母マリヤ夫ヨセフの子として家畜小屋でお生まれになりました。この国の中心都市エルサレムの人々はまだ知らない時に、野にいる羊飼いたちと共にその誕生を祝いました。
12節;しかし、この方を受け入れた人々、その名を信じた人々には、神の子供とされる特権をお与えになった。
神様は恵み深い方です。
神様の私たちに対する愛は真実で誠実です。神様の愛は私たちの不義、不信実、不信仰などの人の態度によって揺らぐようなことはありません。
たとえ私たちが神を知らないと言っても、神はこの方、イエスキリストを救い主として信じて受け入れる人々に神の子供とされる特権をお与えになりました。
この方を信じた人々の心の中には光が宿り、その光によって自分が神に愛されている存在、そして神を愛する存在であることに再び気が付くことができるようになりました。
自身が神の子供であることを自分がどこからきてどこに行くのかを知り、暗闇の淵より抜け出すことができるようになりました。
イエスキリストを受け入れた人々は、魂の内側に神のいのちが溢れ流れることを発見し、この方のいのちによって喜びを得るようになりました。
クリスマスの喜びはこの方のいのちから来る喜びです。
13節;血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、
この救いの恵みは、この方を個々人が信じ受け入れるところに始まります。
ユダヤ民族だからという誇りは無価値です。
クリスチャン家庭に生まれたからという誇りも無価値です。
人の熱心さにより救われるのではありません。
聖書の知識があるからといって救われるのでもありません。
この救いの恵みは、この方を個々人が信じ受け入れるところに始まります。
そこには身分も人種の差別は無く、皆平等に救いの恵みが開かれています。
14節;ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
この言こそ、
2023年前、ユダヤのベツレヘムにお生まれになりナザレでお育ちになったイエス様です。
この方は生涯罪を犯すことなく、神の律法に従われ、神の愛を説き、人を愛し、弟子を育て、神の姿をこの世に示し続けた真の人、真の神です。
生涯の最後に神のみ旨に従って人の罪をその身に背負い、自ら十字架にかかり死なれた方。そして黄泉に下り三日目に死人の中からよみがえり、弟子たちの前に現れ、復活されたことを現し、弟子たちの前で天に挙げられ、神の右に座し、巻物を解くのにふさわしい方と認められ、天においても地においてもすべての名にまさる名を与えられ、
教会の頭、主の主、王の王となられた御方、万軍の主となられた御方です。
メリークリスマス!