主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

サウルもヨナタンも、愛される、りっぱな人だった。Ⅱサムエル1:23

【宿敵の中にも、良いところを認める心。】
東が西から遠く離れているように、わたしたちのそむきの罪を私たちから遠く離される。詩編103:12
 
私たちは、自分によくしない人物や自分とは立場や考え方の違う人に対してはよいところよりも悪いところを探して、なにかその人はすべて悪い者であるかのように決めつけてしまいやすいものかと思います。
なにか、嫌なところがあれば、その人のすべてを嫌いになってしまうような自分勝手なものです。
 
ダビデにとってサウルは自分のいのちをつけ狙う者でしたから、
ダビデの側から見れば、悪い人物であると決めつけてもよかったはずですが、
ダビデはそのようにサウルのことを思ってはいませんでした。
どこまでも、油注がれた王さまとして、尊敬の念を忘れず、サウル王への礼儀を保ち続けていました。
このダビデの心と姿勢は驚くべきことに思えます。
 
油注がれた者に対して、たとえ、肉の欠点が多くても、尊敬の念を保ち、礼節を保ち続ける心、
これはまさにイエス様が私たちに向けられる視線です。
私たちも、イエス様の血潮によって、罪ある者が罪あるままに洗い清められ、油注がれました。
私たちも、主の油が注がれているゆえに、どんなに肉の中にあったとしても、
エス様はもう私たちの罪を見ることなく、私たちを神の子として扱って下さいます。
 
私たちがこれほどまでに愛されているならば、私たちもまた周囲の人々を主の愛の視線をもって愛することを学びたいと思います。
 
神様が与えてくれた妻や夫の欠点ばかりを見つめていませんか?