主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

私は福音を恥とは思いません。ローマ人への手紙1章16節

〈恥の文化〉
世間の考え方や行動と自分が異なることに恥ずかしさを感じる日本の文化。周囲がどう考え、どう行動しているかをいつも気にして、周囲にあわせていくことを自分の考えや行動の規範としていこうとする。それは、言い換えれば、自分の考えや行動の規範を自分の確信や真理に基づいていこうとしているのではないことを意味しています。
〈恥の文化〉の良さは、社会の秩序正しさだと思います。空の鳥が編隊を組みきれいに飛び回りますが、それは、リーダーがいるからではなく、お互いに前の鳥の動きに順々に合わせているからだと聞きます。
 
パウロは『私は福音を恥とは思わない』と言いました。こう宣言したパウロの確信はどこから来たのでしょうか。
それは、彼の中にある救いの確信からでした。かつてイエス様が主であることを知らず、イエス様を信じる人々を迫害していたパウロですが、こんなまず先に神に裁かれても仕方がないようなパウロにイエス様ご自身が声をかけられ、憐れまれました。
このイエス様の恩寵にパウロは、心を悔い改め、
エス様こそ主であり、救い主であることを確信したのでありました。
パウロにとってのダマスコト途上での救いの体験こそ、福音を恥とは思わない原点となりました。
私たちもまず、イエス様の救いに与った時の体験を大切にしておきたいと思います。
 
恥とは思わないとは言い換えれば、誇りに思うということでしょう。
パウロは『私は福音を誇りに思う』と宣言したのです。
パウロが誇りに思っている福音の中身とは?〉
1:イエス様の十字架の御業を恥とは思いません。
私たちは、イエス様の流された血潮の価値は永遠に有効であることを信じています。
ご自身の血によって、一度だけ聖所に入られ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。ヘブル9:12
罪のためのささげ物はもはやあり得ない ヘブル10:18
エス様の犠牲にまさる罪のゆるしのささげ物はありません。イエス様の十字架によって私たち人間の罪が全くゆるされたことを信じて疑いません。それゆえ、私たちは福音を恥とは思いません。
2:人の持つ不完全さ、弱さ、醜さ、汚さ、あらゆる罪の限りない深さを恥とは思いません。
私たちは、己の罪がどんなに深くともイエス様の血によってきよめられることを信じています。
ですから、たとえ己が醜かろうとまた傲慢であろうと福音であるイエス様の元へゆくことを恥とは思いません。
たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。イザヤ1:18
聖書の知識が無くとも、身分の低い者であっても、イエス様が必ず受け入れてくださることを信じています。
私たちは、自分の罪深さによってイエス様に近づくことができないのではないかと恥じたり、恐れたりすることはないのです。
それはどんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためです。Ⅰコリント1:29
わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。Ⅱコリント12:9
たとえ、私たちは弱くともイエス様は強い御方です。私たちは、喜んで己の弱さを誇り、イエス様の前に恥じることなく堂々と出てまいりましょう。
3:イエス様の福音に生きることを恥とは思いません。
たとえ、この世の人々がイエス様を信じてイエス様により頼んで生きていくことを笑うことがあったとしても、この福音により頼んで生きていくことを私たちは恥とは思いません。
エス様はご自身により頼む者を決して見放したり見捨てたりされない御方です。
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがありません。詩篇23:1
たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に望みをおくように。Ⅰテモテ6:17
4:この福音をのべつたえることを恥とは思いません。
 わたしたちは、十字架の言葉は、滅びに至る人々にとっては愚かであるが、信じるわたしたちには神の力であることを信じています。そして、神様は宣教の言葉の愚かさを通して信じる者を救おうと定められていることを信じてます。それゆえ、わたしたちは、この福音をのべつたえることを恥とは思いません。
邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使いたちと共に来るときに、その者を恥じるであろう。マルコ8:38
最後に、どのようにしたら福音を恥とせず、パウロのように福音を誇りと思えるのでしょうか。
人間の肉の性質は福音を恥じるものです。わたしたちが肉に染まってしまうとき、わたしたちは聖書を読むことをやめ、祈ることをやめ、教会から遠ざかってしまいがちです。
逆に聖霊に満たされているとき、わたしたちは聖書に親しみ、祈りに励み、兄弟姉妹の交わりを喜ぶものでしょう。わたし達に福音を誇りとさせてくださる方は御霊様です。ですから、わたし達は日々御霊様の御臨在を慕い求め、いつも御霊様がわたし達の上にとどまってくださるように祈り求めたいものです。感謝します。
4.09家庭集会メッセージ要旨。