主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

主を仰ぎ見ることの祝福                 民数記21章8節

『すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば生きる』民数記21:8
本日の聖書箇所は、イエス様が私たちのすべての罪の身代わりとして十字架に上げられたことの予表です。毒蛇にかまれた者が青銅の蛇を見上げて癒されたように、サタンという古い蛇に傷つけられている私たちもイエス様の十字架を見上げれば生きることができます。
私たちは、人生の荒野の中で、天のカナンを目指して生きている旅人のようなものです。イエス様は私たちのよき羊飼いとして、私たちを緑の牧場に伏させ、憩いの水際に伴って下さいます。しかし、肉の弱さを持つ私たちは、荒野の中でもイエス様が導いて下さっていることを忘れ、不平と不満を神にそして主に訴えてしまうものです。私たちのつぶやき、すなわち、神に対する不信仰・不従順を放置しておくことは、私たちの信仰生活に霊的な死をもたらします。いつのまにか蛇の毒が体の中を回り、命から切り離される死が入りこんでしまうのです。
憐れみ深い神様は、荒野の途上にも主の十字架を置かれ、主を見上げれば生きることを約束して下さいます。
1)              私たちは救われるためにイエス様を見上げる必要があります。
2)              私たちは、信仰生活に死をもたらさず、命に生きるためにイエス様を見上げる必要があります。
3)              祝福された信仰生活を維持するために、主を見上げることを学ぶ必要があります。
1:神様は憐れみ深い方であり、恵み深い方であり、神に言い逆らう者を見捨てず、救いの道を用意して下さる方です。
2:私たちは、困難に出会うと神に不平を言いやすいものです。
3:私たちは、困難に会う時、自分の方法で問題を解決しようとしやすいものです。
4:神様の指定される救いの道は、人の考える方法とは異なります。
5:私たちは、神様が指定する救いの道を静かに聞き分け、神様の方法に聞き従うことが大切です。
6:神様は私たちが遭遇する試練から逃れる道を必ず用意しておいて下さいます。
『あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えて下さいます。ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。』Ⅰコリント10:1314
2011.10.16礼拝要旨