主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

『新しい戒め。互いに愛し合いなさい』

聖書:ヨハネ133435節。Ⅰヨハネ4711節。
 
神様はこの素晴らしい天と地を創造されたとき、愛する対象として人間を創造されました。そして、造られた人間同士が互いに愛し合うために、エデンの園を設け、そこに男と女を置かれました。エデンの園は愛に満ち溢れ、神は人を見て愛し、喜び、人も神を見て、愛し喜び、人と神は互いに愛し合う喜びに満たされていました。そのような祝福された関係の中にあったにも関わらず、人はサタンに誘惑され、神の戒めを破り、エデンの園を追放されてしまいました。エデンの園を出た途端に、人は、殺人者としての性格を現し、憎しみ、殺し合い、自己の利益を追求し、神を忘れ、破滅に向かうものとなりました。神様は、このような堕落した人の姿を見て、どれほど悲しみ、落胆されたことでしょうか。神の創造の作品として、祝福された人の姿が堕落しているのを見て、神様は再び人を創造することを決心されました。神は人を裁くのではなく、人を誘惑し堕落させたサタンを裁き、また、人の中に入り込み、人を堕落させる原因となった罪を取り除くことを決心されました。そのために、神様は罪を取り除くために、救い主をこの世に送り、ご自分の責任において、人を回復させると決心されました。神様は救い主であるイエス様の十字架の上に人の罪を置き、イエス様の肉体の中にサタンを閉じ込め、イエス様を十字架の上で裁くことにより、人の罪を裁き、死の力を持つサタンをイエス様の十字架の死と共に滅ぼされました。ここに神様の愛があります。人に対する完全な愛とサタンと不義に対する激しい怒りが十字架の上のイエス様の上に臨んだのです。神様はこれほどの犠牲を払ってでも、人の中に愛が回復することを望まれ、人が再び、神を愛し、人を愛し、互いに愛し合う存在になることを願っておられるのです。
なぜ、新しい戒めなのでしょうか?
1:愛することの基準と模範が示されたからです。
     どのように愛するのか?それはイエス様が愛されたようにです。
     誰が愛されたのか?人が神を愛したのではなく、神がまず人を愛されたのです。
2:教会というお互いの関係性が始まったからです。
     すなわち、神様は教会を創造され、教会の頭として、イエス様を置かれ、そして、弟子が互いに愛し合う関係の中にいるところに、神の臨在を現されようとされました。エデンの園という一つの場所ではなく、互いに愛し合う弟子たちのいるところがエデンの園となり、神の住まうところとなったのです。
     弟子同士に愛し合う関係を見るときに、人は教会に神を見るのです。
3:弟子たちの生き方の新しい目標が示されたからです。
・愛し合うことこそ、弟子に示された新しい生き方です。イエス様がどのように私たちを愛されたのかを聖書からよく学んで下さい。そして、愛を実践してください。
2011.12.18.主日礼拝メッセージ要約