愛する姉妹へ
私は聖書からしか答えようがないので、申し訳ありませんが
人はどんなに正しく歩もうとしても歩むことの出来ない、過ちをおかしながら生きるしかない、神様を喜ばすことの出来ない罪ある存在であることを聖書は教えています。
このように不完全な生き方しか出来ない人のすべての営みが罪なのです。
神に喜ばれる正しい生き方をしたいと願い努力する事こそもまた人の罪そのものです。
神に喜ばれる正しい生き方をしたいと願い努力する事こそもまた人の罪そのものです。
しかし、神様は、人に完全になることを望まれたのではなく、不完全なままに罪あるままに生きることを赦していてくださったのです。
それは、人の代わりにイエス様が神に喜ばれる生き方を十字架の死に至るまでに全うされているからです。
イエス様の十字架のあがないのすばらしさは計り知れないと思います。
人の罪深さによって、神様の聖なる御名が汚されることがないために、
人のすべての過ちもイエス様を信じることで益に変わりました。
どんな罪深い人の歩みであっても、すべてのことが相働いて益としてくださるのです。
私はこの真理を教えられてからは、自分が嫌になるという思いは消えていった気がします。
要するに、もともと自分には良いところは何もないし、神様を喜ばすことも何も出来ないと教えられたので。
一方的に神様に愛されていることに満足しています。
自分が神様の為に何をするかよりも神様が私の為に何をしてくださったかをよく見ることが大切かと思います。