「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ちあがって従った。
それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。 マルコによる福音書2章14,15節
【イエス様とともに食事をする】
取税人マタイはイエス様に呼ばれて、何もかも捨ててイエス様に従うために立ち上がりました。そのあと、マタイはイエス様を自宅に招いて一緒に食事をし、イエス様をもてなすとともにイエス様のもてなしを十分に受けました。
イエス様とともに食事をするということはどういうことでしょうか?
イエス様は十字架の上で罪のあがないの御業を成し遂げられた後に、よみがえられ天に昇られ、父なる神様の右に坐されました。これは、エペソ書1:3「神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」とありますが、イエス様は再び神の右の座に着かれた後、私たちにゆたかな霊的な祝福を分かつ立場に着かれたということも現しています。
私たちの現在の立場は、「キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました」(エペソ2:6)とあるとおりに、私たちもキリストとともに天の所に坐しているのです。
イエス様の贖いによって、私たちは本来の神の子供としての身分を回復し、本来私たちに用意されていた
霊のもろもろの祝福を受け継ぐことが許されたのです。
ですから、イエス様とともに食事をするとは、この霊的な祝福の回復であるということができます。
イエス様の御許にいてこそ、私たちは豊かな霊的な祝福を受け取ることができます。
それは、癒しであり、信仰であり、また力であり、命・・であります。
信仰生活に必要なすべてのものは、イエス様の御許にあるのであり、私たち人の中にあるのではありません。
イエス様の御許に座る、侍るということなしには、どんなに熱心に教会の活動をしたとしても、その実はむなしいものでしょう。
私たちは、マルコの2章14,15節から、信仰生活を進めるにおいてイエス様とともに食事をすることの重要性を学ぶことができます。
2013.1.27 メッセージ要旨