主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

道に迷ったらカルバリに戻りなさい。

あなたがたが右に行くにも左にゆくにも、あなたの耳は後ろから
「これが道だ。これに歩め。」という声を聞く。                         イザヤ30:21
私たちは、弱く迷いやすいものです。
家族を愛していないわけではありません。
家族に優しく接することが望ましいことを知っています。けれど、肉の弱さがあるので、
素直になれなかったり、怒ってしまったり、仲たがいしてしまったりするのです。
過ちを犯してしまった後に、こんなこと言わなければよかったなあとか、どうやって仲直りすればいいのだろうとまた悩んだりしてしまいます。
欲望の深みにはまってしまってはいけないことを知らないわけではありません。
欲望につられれば、主を忘れてしまい、主からだんだん離れてしまうことも知っています。
けれども、目の前にあった欲につられてしまい主から離れてしまう自分を見つけてしまう時があるのです。
 
私たちは幾度も道に迷ってしまうものです。
そのような私たちをイエス様は『羊』と表現され、
そして、イエス様はご自身を『羊飼い』と表現されました。
 
災害の多い時代です。もし、家族が離れている時に災害に会ったなら、どこで待ち合わせをするのかあらかじめ決めておくことが再び出会える秘訣です。
 
信仰生活でも、突然、災害に出会ってしまう時に、
家族が集まる場所を決めておくことが再び出会える秘訣となるでしょう。
それは、カルバリ山の十字架の元です。
 
道に迷ったらカルバリに戻りましょう。カルバリの丘を登り、十字架を目指しましょう。カルバリ山で待っていれば、家族もきっと戻ってくることでしょう。
十字架を見上げる時に、もう一度、イエス様から道が示されることでしょう。
日に幾度も道を迷うとしても、カルバリの十字架はいつも目の前にあるはずです。
日に幾度も十字架を見上げましょう。
 
夫婦の関係が崩れそうになるたびごとに、
親子の関係が崩れそうになるたびに、
職場の関係が崩れそうになるたびに、
罪の虜になってしまうたびに、
十字架にかけられ、私たちの罪のために血を流して下さったイエス様を目上げましょう。
 
主は、道であり、道から外れてしまった私たちを幾度でも拾い上げ、『これが道だ。これに歩めと。』救いの道を新く示してくださると信じます。