主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

兄弟たちあなたがたの召しのことをよく考えてごらんなさい。Ⅰコリント1:26

これは、神の御前でだれをもほこらせないためです。Ⅰコリント1:29
今日のQTの中で、自分の召された時のこと、救われたときのことを振り返る時を得ました。
神様は、人の信心によって、ご自身を現される方ではないということをもう一度顧みることができました。
 
自分の心が自分では全く支えきれなくなり、
おぼれ死のうとするその瞬間にイエス様が力強い御手をもって私を救い出して下さったことを思い出します。
自分は、もうだめだ、どうしようもない、無力です、自分に絶望していますという、無力さ、
人の知恵や力ではもうどうしようもないという時にこそ、主の恵みが豊かであり、救いの時であります。
 
信心は、人をだまします。
神への信仰、という名における、
神に対する信心深さによって、神が力を発揮してくれるとまたも勘違いしてしまいます。
そうではなく、信じる心さえ自分に全く自信がもてず、
あなたは信じていますか?と問われ、信じると言える自分の存在にさえ不安を覚えています、という時にこそ、主の救いはまじかにあるということ。
 
心が砕かれていることの大切さを覚えましょう。