主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

そして、イエスのところに行って報告した。   マタイ14:12

【悲しみを共に担われる方】
それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って、報告した。
                                                    (新共同約)マタイ14:11
エスはこのことを聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所に行かれた。                                                          マタイ14:13(新改訳)
ヨハネの弟子たちは、ヨハネがヘロデに斬首されたことを聞かされ、遺体を引き取りにいった。
ヨハネの弟子たちはなんと無念であったであろう。なぜ、正しい人が無残な死を迎えなければならないのか。
神様はなぜヨハネ先生を助けてくださらなかったのであろうか?
彼らは、落胆と失望のうちに遺体を引き取ったに違いない。
 
ヨハネの弟子たちの悲しい足どり。
でも、その足でイエス様の元に向かったと聖書は書き記している、
そのことに深い慰めを覚える。
彼らはヨハネの弟子として歩み、イエス様の弟子ではなかった。
けれども、ヨハネ先生からはいつもイエス様のことを聞いていたに違いない。
そして、ヨハネ先生が尊敬し、見よ、神の子羊と呼ばれたイエス様のこともいつも覚えていたに違いない。
 
彼らは、師を失ったとき、その最初にイエス様を思い出した。
エス様のところに行って一部始終を伝えようと
悲しみの癒えぬままに自然とイエス様のもとへ向かった。
エス様は彼らをやさしく迎えた。
エス様は彼らの報告を静かに耳を傾けてくださったに違いない。
エス様はなぜヨハネが殺されなければならなかったかをヨハネの弟子たちに納得させようはなさらなかったでありましょう。けれども、イエス様は彼らの話を全て聞き、共に彼らの悲しみを担って下さった。
 
エス様は、彼らの悲しみを引き受けながら、一人寂しいところに出かけていき、父なる神様と交わりながら、
その悲しみを分かち合い、ヨハネに備えられている天における素晴らしい報いを確信しながら、祈られたことでしょう。
 
なぜ、愛する者が不条理な死を迎えなければならないのか。
今も答えのでない死に悲しみいえない家族がどれだけいるのか分からない。
遺族の悲しみをマスコミが取り上げようとも、
裁判に訴えようとも、その悲しみと無念さは癒えない。
 
ただここに一つの慰めの道が記されている。
エス様のもとに行って、報告をすること。
エス様は私たちの嘆きと悲しみを聞き、そっと深く抱きしめてくださるに違いありません。