【心を開けますか?】
イエス様が、湖の向こう岸に一人の狂人を訪ねた時、
彼は、イエス様に向かって、神の子、かまわないでくれ!と叫んだ。
彼の攻撃的な言葉と裏腹に、彼の本心は、人としてかまって欲しい、誰も、私のことを顧みてくれないという叫びがあった。
彼は、イエス様に向かって、神の子、かまわないでくれ!と叫んだ。
彼の攻撃的な言葉と裏腹に、彼の本心は、人としてかまって欲しい、誰も、私のことを顧みてくれないという叫びがあった。
イエス様は、彼の気の病という弱さを十分に知っていた。
彼の心の傷が、彼自身と周囲の者を苦しめていたことを。
彼の心の傷が、彼自身と周囲の者を苦しめていたことを。
心を開くことによって、言い換えれば、他者に依存してきた分、自分の心に深く傷を負ってしまった。
だから、
私には、赦せないことがたくさんある。
赦したくない人もいる。
赦せないというのは、人の過ちを流すということに限らず、
自分の心を開くことができないという赦せない心もある。
身近な家族にも、心を素直に赦したくないと思うこともある。
私には、赦せないことがたくさんある。
赦したくない人もいる。
赦せないというのは、人の過ちを流すということに限らず、
自分の心を開くことができないという赦せない心もある。
身近な家族にも、心を素直に赦したくないと思うこともある。
人という者にたいして、自分自身を含めて、その不確かさを知るようになって、
人に心を赦せなくなってきた自分がいる。
でも、赦すというのは、そうしたいか、したくないか。という私の意志にも拠っている。
人に心を赦せなくなってきた自分がいる。
でも、赦すというのは、そうしたいか、したくないか。という私の意志にも拠っている。
私の信仰には、神様どうしてですか?と私が何をしたのですか?という叫びが、
心の奥にはいつもうずいてしまっている。
心の奥にはいつもうずいてしまっている。
主よ、こんな私でいいのですか?
【お互いの弱さを理解できる人をそばに置いて下さい】