わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。ヨハネ10:9
人の魂は、神のもとを離れてからさまよっています。
さまようのは、魂が神への道を、入り口がどこにあるのかと門を探し求めているからです。
魂は、世の中をさまよい、魂の故郷はどこにあるのだろうかといたるところを尋ね求めています。
ただ、唯一、神のもとへ帰れる入口は、イエス様の十字架の上だけにあります。
十字架は時空を超えています。
2000年も前に十字架の上で殺されたナザレ人イエス様の上に神のもとへ帰れる道、門が開かれているなどと人の理性は受け入れようとしません。
なぜなら、時間的な隔たりがあり、また、空間的な隔たりがあると考えるからです
しかし、十字架は時空を超えて、今も存在し、唯一、この世と神の世とをつなぐ門として今も開かれています。
まさしく、天空に浮かんでいる門です。
天空には、十字架が浮かんでいます。
そして、そこの先は神の国が広がっているのです。
目に見えるこの世の肉体の世界、目に見えない神の世界は表裏一体です。すぐそばにあります。
十字架は国境の出入り口のようなものです。
この十字架の門にはいるために、神様から私たちには、信仰という方法が与えられています。
十字架も時空を超えますが、信仰の働く領域もまた時空を超えます。
ですから、信仰は2000年前の世界にまでいっきに跳ぶことができます。
2000年前のことも現在に引き寄せることもできます。
神の国の入り口を探し求めていた魂にとって、これほど嬉しい知らせはありません。