主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」マルコ5:12

エスがそれを許されたので、・・・。
特にここ数カ月間、今の政権の動きに対してどうしてもとりなしの祈りをしなくてはならないという気持ちが強く働いていて、ことあるごとに、今の政府、国会、そして総理大臣の行動などについてとりなされる。その中で、なんともはっきりしないことは、祈ろうとしても、なにか大きな無力感を感じ、何に焦点をしぼって安部政権のために祈ればいいのか、祈ろうとすると、雲に包まれてしまうような感覚があり、祈りの焦点を絞りにくことを感じ続けている。
 
それは一体何であり、どこから来るのかを探りながら祈ってきている。そして気がついたことは、その雲に包まれてしまうような感覚というのは、ゴリアテを前にしたイスラエル人の無力感に似ているのではないかと思うようになっている。そのことが分かってからは、祈りの焦点にまとまりが出てきている。それは、今の日本の政権に必要なのは、ダビデの存在であるということ、ゴリアテのように神の御名をなじる者、神を恐れない者に対して、ダビデもように神の言葉によって立ち向かう勇者であるということに気が付き、ダビデを起こして下さいという祈りにつながっている。義に立つ者、平和をつくりだすために努力しているものを主は支えて下さるから。
そして、人にはできなくても神にはできることをあらためて信じ直し、この国の主権はイエス様にあることをもう一度しっかりと確認するという祈りにつながっている。
 
 
安部政権がおかしいと感じながらも、皆が強くそのことを主張し、支持率を極端に低下させるほどに反対が出ないのはなぜなのだろうかと思う時に、
ふと今日の聖書箇所につながりがあるのではないかと思わされた。
 
なぜ、安部政権が支持されるのか?それは、彼がはっきりと「金の子牛」を国民の前に掲げているからである。
国民一人一人が心の中で「金の子牛」を崇拝している限り、「金の子牛」を掲げる総理大臣に期待するのであろう。しかし、彼の中に「いのち」はない。「金の子牛」と担ぐのは私たちでもあり、それゆえ、バアルが崩されるように祈らなければならない。
 
汚れた霊が、イエス様に、「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください」と懇願する姿をどう思われるだろうか。
ここには、悪霊たちの巧妙な罠がイエス様に仕掛けられたのを見る。
悪霊たちは、ゲラサ人から出て行く代わりにイエス様に対して豚の中に入ることを願った。これは、悪霊の命乞い?のようにも思えるが、彼らは決してイエス様に対して素直なわけではない。
ここに、一人の男のいのちと豚の大群に象徴される経済価値、その地方の人々の生業を支える業との取引を悪霊たちはイエス様に迫ったのである。
一人の男のいのちが救われることと、大勢の人々の生業が守られることとどちらが大切か?大勢の人々の生活が成り立たなくてよいのか?といかにももっともらしい、理屈をつけて、悪霊たちはイエス様に選択を迫ったのである。
これが、ふつうの人であるなら、やはり、大勢の人の生業を守ることのほうが大切なのではないかと考え、
(悪霊が豚に移ったら、豚が死に、人々の生活が突然、困窮してしまう)豚に移らせることに戸惑ってしまうのではないか。
それよりも、一人の男の中に悪霊がとどまっているほうが、犠牲が少ないと言えるのではないかと、いかにも、多くの人々を納得させる理屈となるのではないか。
 
ここに、原発再稼働に突き進む安部政権にしっかりと反対できない理由が重なっていくように感じられる。
いのちの価値が経済的な価値とはかりにかけられ、取引されているのである。
これは、まさに悪霊がイエス様に仕掛けた巧妙な罠である。
 
しかし、イエス様は即座に、悪霊たちが豚の中に入ることを許された。イエス様にとって大切なのは、いのちであり、金ではないからである。イエス様は悪霊たちと取引はされなかった。
悪霊の支配下にあったゲラサ地方の人々は、イエス様にかかわらないでほしいと願った。それは、イエス様がいのちを大切にされることによって、人々の生活が脅かされると恐れたからだ。
 
今また、日本国民は、偽りの霊に惑わされようとしている。安部政権に働く偽りの霊がまた日本を覆うとしている。
真理の御霊が、人々の心を照らすようにと祈り続けていかなければならない。