復活の恵み~赦しの共同体の始まり。
復活の主に出会うということは、生きておられる主に出会うということ。
生きておられる主に出会った人はまず、主の赦しに触れるということ。
復活の主との歩みは、まず、赦されるところから始まる。
復活されたイエス様は、戸の中にいた弟子たちに4つのメッセージを語りました。
一つは、平安があなたがたにあるように。
二つは、わたしもあなたがたを遣わします。
三つは、聖霊を受けなさい。
四つは、罪を赦しなさい。です。
なによりも、聖霊には人の罪を赦す力があるからです。
十字架を前にして、イエス様の前から逃げ出してしまった弟子たちの心には様々な傷がありました。ユダは主を裏切り、ペテロも主を拒み、他の者たちも主に着いてゆくことはできませんでした。
お互いに誰が一番偉いかと比べあっていた弟子たちです。
彼らは、どのようにして、再び、同じ仲間、一つの群れとしてまとまることができるのでしょうか。
彼らが、再び、イエス様の弟子として歩み始めるために、必要なことは、お互いに赦しあうことからでした。
23節で語られた主の言葉『あなたがたはだれかの罪を赦すなら・・』と主が言われた時、このだれかの・・とは、まったく知らない他人のことを指したのではなく、彼らの間での誰かであったのではないかと思われます。
弟子たちの間で、赦しあいの心がなければ、主の共同体としての新しい歩みは始まらないのです。
弟子たちが、まず聖霊を受けて始めなければならないことは、仲間を赦すことでした。
主は、そのために聖霊を受けるようにと勧められたのではないでしょうか。
彼らが、赦す決心をすれば、聖霊の力は本人と相手に臨み、赦しの力が働きます。
しかし、彼らが、お互いを赦そうと決心しないならば、その罪は、そのまま彼らの間に残ったままとなり、しこりとなってしまうのです。
教会とは、赦しの共同体です。主に罪を赦された者たちの集まりです。
主の赦しを受けた者たちが、お互いの過ちを認め合い、聖霊を受けて、再び赦し合ってゆくのです。
すべては、ここから始まります。
2016.4.10 茅ヶ崎集会