主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。マルコ10章38節

神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。Ⅰペテロ5章5,6

【教会の奉仕者の心得】

エス様は、ヤコブヨハネに『あなた方は、自分が何を願っているか分かっていない』とおっしゃいました。
彼らは、いったい何がわかっていなかったのでしょうか。
①彼らは、主の受ける『栄光』について勘違いをしていました。
エス様の栄光とは、十字架の苦難と復活です。しかし、彼らは、主の栄光とは、イエス様がこのままユダヤ人の王として立たれることでした。
②彼らは、イエス様ご自身の十字架の苦難を受けることができると勘違いをしていました。
全人類の人々の罪の身代わりとなる十字架は、イエス様ご自身以外の誰も背負うことのできない杯であり、洗礼であることを理解できていませんでした。
③教会における指導的立場、分は、人の願うところではなく、神ご自身が御心のままにお定めになることを理解できていませんでした。
人の情熱や、才能や熱意によって、主の御用の範囲が定まるのではありません。教会はキリストの体であって、だれがどのように体の一部分として用いられていくのかは、神様の望まれるままであり、人の願いによるものではないことを知りませんでした。
そこで神は、ご自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。Ⅱコリント12章18節
④それぞれの良い地位に立つことは、願ったらすぐに実現するということではなく、
時間を経て、主と主の御体に仕えることを心からの喜びとなるに至るまで、苦難の道を、訓練を通してなっていくものであることを知りませんでした。
わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない。使徒14章22節

主イエス様が喜ばれるのは、砕かれた魂であり、高ぶるものではありません。イエス様は、主の器として用いられるようになるために、弟子たちを訓練しへりくだる心を与えようとされているあわれみ深い方なのです。



2016.6.26 茅ヶ崎集会