主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。第一ペテロ3章21節

1.そのことは、とは、

 ノアの時代に、箱舟が造られてノアの家族の8人だけが大洪水から救われ生き延びることができたことを指しています。20節参照。昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか8人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。

ここに水を通って救われたと記してありますので、箱舟はただ水の上を浮かんでいたから助かったのではなく、大洪水により、水があふれる中、箱舟だけが水の中から浮かび上がって助かったというイメージの方が近いと思います。

すべての人が水に沈められて、滅ぼされてしまったその中で箱舟の中にいたノアの家族だけが、箱舟(シェルターですね)に守られて、箱舟ごと水の上に浮かび上がることができたのです。海は死者のいる世界、黄泉を象徴しています。

2.今あなたがたを救うバプテスマとは、

聖霊によるバプテスマを指しています。

エス様を信じたことにより、御霊により、滅びの中に沈んでいた私たちの霊が御霊という箱舟に乗り、滅びから救われることを表しています。

3.正しい良心の神への誓いであり、とは、

自身の罪を悔い改めてイエス様に救いを求める良心のことです。

4.イエス・キリストの復活によるものです。とは、

罪を悔い改めてイエス様に罪の赦しを乞うたことにより、私たちの中に御霊が入られました。

私たちより、先にイエス様は死の中より御霊により復活させられましたが、

エス様が復活した時、黄泉に沈んでいたけれども、あらかじめ救いに選ばれていた人の霊もイエス様と一緒に復活し黄泉より引き上げられました。

私たち受けるバプテスマとは、旧約聖書にあるように水によって肉体の汚れを洗い清める儀式ではなく、

エス様の復活によって、死んでいた人の魂が

滅びから救いあげられたことを意味していることを示しています。

5.22節 キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。

この聖書箇所は、エペソ人4章8節、9節に呼応していると思います。

エペソ人4章8,9節においてもキリストが天に上られたことと、その時に『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ』と記されているように、捕らわれていた人々が解放されたことを記しています。また、サタンの支配の元で悪のために利用されていた権威と権力が神の主権の元に回復したことを伝えています。

参照 コロサイ書2章15節

神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。

コロサイ書では捕虜とされたのは、様々な人間の戒めと教えです。つまり人の作り出した戒めも教えも、罪を清める力が無いものであったが、サタンはこれらのものがいかにご利益があるかのように、人をだまし続けていたが、イエス様は復活の際に、これらのものが意味のないものであったことを公にさらし者にしたことを示していると思われます。