【傷ついた心と共に生きる】
イエス様の癒しとは
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちは癒された。イザヤ53:5
・イエス様は、傷だらけのままだった。十字架の上で痛み続けられた。
・イエス様は痛みと苦しみと弱さのままの神様だった。
サタンはイエス様を負かすことはできなかった。
もし、心が傷つけられたとしたら、それは、人の弱さを知るため。
以前のように、強い自分を主張できなくなる。
心の傷によって、人の言葉が自分の胸に突き刺さるようになる。
いつも、どこかで、心が痛い。
以前のように、強い自分を主張できなくなる。
心の傷によって、人の言葉が自分の胸に突き刺さるようになる。
いつも、どこかで、心が痛い。
イエス様にお願いする。心の傷を癒してください。
でも、弱くされた心は、強く自分を主張できない。
傷を負った原因探しを続けるのではなく、また、それを誰かのせいにするのでもなく、被害者意識にさらされ、悲劇のヒロインになるのでもない。
傷を負った原因探しを続けるのではなく、また、それを誰かのせいにするのでもなく、被害者意識にさらされ、悲劇のヒロインになるのでもない。
心が傷ついたことでイエス様の言葉が心の内側に届くようになった。
弱くされたままで、癒されていくことに気が付く。
以前と同じような強さに戻ろうとするのではなく、
傷ついたままだけれど、傷を負った弱さの中にでも、
今までと同じように豊かな活動の場、生活が用意されている主の備えに気が付いてゆく。
以前と同じような強さに戻ろうとするのではなく、
傷ついたままだけれど、傷を負った弱さの中にでも、
今までと同じように豊かな活動の場、生活が用意されている主の備えに気が付いてゆく。
しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ喜んで自分の弱さを誇りましょう。Ⅰコリント12章9節
こんなところに主の癒しがある気がする。