主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。マタイ9:2

【障害があるままでも喜んで生きるために】
人の子が地上で罪をゆるす権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。

今まで、イエス様は、悪霊につかれた人からは、悪霊を追い払い、らい病人には、らい病を癒し、病人には、病をいやした。けれど、ここでは、イエス様が最初に中風の者にされたことは、罪の赦しであった。

人は、健康体であっても、生きることの意味を見出すことができないならば、しかばねのようになります。
人は、たとえ障害を抱えていても、生きることの意味を見出すことができるならば、よりよく生きることができます。

エス様は、この地上に来た目的は、人の罪を赦すためでした。
人の罪は神との交わりを断絶し、人に真に生きることの意味を見失わせています。イエス様に罪を赦された者は、神との交わりを持つことができるようになります。

神との交わりがあるならば、人は神より命を供給され、心の内側に命が溢れ、生きることの意味を持つことができます。
それは、魂の内側の出来事なので、たとえ、身体が不自由であっても、可能なことです。


もし、中風の人が、病を癒されてそのまま主の下を離れていったとしても、生きる喜びを得る保証はありません。
けれど、中風の人が、中風を癒されなくとも、罪をゆるされて主の下を離れたのならば、
生きる意味を与えられ、生きる喜びを得たに違いありません。

エス様が、一番与えたいと願っていたものは、この生きる喜びにつながる命でした。
そのために、イエス様は身体の癒しよりも先に、罪の赦しを与えたのでした。