人は『ついてきなさい』と言われて誰にでもついていくわけではありません。まして、仕事も家族も捨ててまでついていきたいと思うことは余程のことであります。
ペテロ達、ヨハネ達はなぜイエス様についていこうと決心したのでしょうか。
ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた。『わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしてあげよう。』マルコ1章16,17節
私たちも時に魅力的な人に出会うことがあります。
その人のうちに輝く人格に魅せられることがあります。
そのような人に出会う時、私たちは魅せられてその人についていきたいと思うものです。
ペテロ達には、イエス様ご自身との出会いがあったと思われます。
イエス様のご人格に出会い、魅惑されてしまったのであります。
イエス様は御霊によって荒野に導かれたのち、サタンの誘惑を御言葉によって退け、聖霊に満たされてガリラヤにもどってきました。
イエス様は愛の人そのものです。イエス様には人としての美しさがすべて備えられていました。神様が人を創造されたときに人に願われた神の似姿をすべて完全に備えられていました。
真実さ、柔和さ、謙遜さ、優しさ、慈しみ深さ、勇気、力、輝き、美しさなど、人に与えられた罪に汚れる前の人の完全さがすべてイエス様には備えられており、それらがすべて輝きあふれていました。
イエス様はそのようなお姿でガリラヤ湖畔を歩いておられたのです。
私たちは、イエス様ご自身、イエス様のご人格に出会う時、その言い尽くせないすばらしさに圧倒され、この方についていきたいと心を奪われてしまいます。イエス様ご自身との出会いがあるならば、この世のなにを捨て去ってもいい、何もいらないとすべてを捨ててしまうものです。
まだ、このイエス様に出会っていないのであれば、イエス様ご自身との出会い、イエス様の全人格との出会いを熱心に父なる神様に祈り求めましょう。
父なる神様は、イエス様に出会いたいという祈りに喜んで答えて下さいます。
2019.9.22 茅ヶ崎集会 建徳要旨