主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。あなたはその国民を増やし、その喜びを増し加えられた。イザヤ9章2節、3節。

皆さん、今日は。久しぶりにこの集会に参加することができました。

エス様を愛する人々の集まりはこの世の中の集まりの中でももっとも尊いものです。

姉妹のご愛労によって、今年も共に救い主がお生まれになった。救いがすでに到来していることを共に喜べることはなんと幸いなことでしょうか。

 

今日、クリスマスに与えられた御言葉のキーワードは三つあります。

闇、光、そして喜びです。

闇とは人がイエスキリストを信じる前の状態であり、悪魔の支配と人の罪を表しています。

光とは、イエスキリストであり、救い主のことです。

喜びとは、罪人である人がイエスキリストを救い主として信じて与えられる神からの賜物です。

この三つについてお話ししたいと思います。

 

1:闇の中を歩んでいる。

最近のテレビのニュースはニュースを開いてみると悲しいことに人が人を殺したということばかりです。民が民に敵対し、国が国に敵対し、ほんとにニュースなのでしょうか。

少なくとも、良い知らせ、グッドニュースではありません。バッドニュースです。

バッドニュースの中で、私が悲しかったのは、農水次官であった父親が自分の息子を殺さなければならなくなったニュースがありましたが、その娘さんも自殺にまで追い込まれていたことを知り、一つの家族の中にあった闇の深さにため息がもれました。どれだけ、息子が立ち直ってほしいと父親として苦しみ続けたことでしょうか。わが子に手をかけなければならなかった父の苦しみ、家族の苦しみ推し量ることができません。

このような家族間の闇の問題は他人事ではなく、人間関係を破壊しようとする闇の力を感じます。

 闇の中を歩んでいる。これが、この世の人々の実相なのではないでしょうか。誰でもよい家庭をよい家族関係を夫婦関係を望んでいるのに、私たちの意志を超えた闇の力が私たちを望まない方向に導いていってしまうこの悲しみ、人が人を殺し、信じる心が失われ、愛することを欲望と勘違いしながら自分の欲望を満たすために生きていくことが当たり前だと思うような世の中の流れは、ほんとに闇だといわざるおえません。

しかし、世の人々は、これが闇だとは気が付かずことができない。闇は、闇を区別することができないということです。

そして、この闇は、世にある以上に、人の心の中にあり、人の心を支配しようとしているのです。

この闇はどこからくるのでしょうか。

コロサイ人への手紙に、神は、暗闇の圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいましたと書いてあります。

神に反逆したサタンが世を支配し、人々の魂を暗闇の中に閉じ込めようと暗躍しているのです。

人はこの闇から抜け出そうと努力しもがきます。しかし、闇から抜け出すことができずに苦しんでいます。

それは、なぜでしょうか。それは、人には罪があるからです。

罪とは神との断絶です。神の命、神の世界から切り離されてる人の姿です。

神から切り離されているゆえに、人は闇(悪魔)の力に勝つことができないでいるのです。

エペソ2章にあるとおり、すべての人は自分の罪と罪過との中に死んでいたものであって、この世の流れに従い空中の権威をもつ支配者としていまも不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいたとあります。

2:光とはイエス・キリスト

イザヤ書の預言は喜びの知らせ、グッドニュースです。

このような暗闇を歩んでいる民の上に光が照り、大きな光を見たと書いてあります。

この光とは、救い主のことです。救い主が大いなる光を見、救い主が死の陰の地に住んでいた者たちの上に光を照らすという喜びのお知らせを預言しています。

ヨハネ福音書1章5節には、光は闇の中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかったと書いてあります。

闇の中にいる民は、自分で闇を照らすことはできません。光の源である神だけが闇を照らすことができるのです。

この光はすべての人を照らすまことの光です。

この光を私たちの心の中心にお迎えするとき、私たちの心の闇は追い出されます。

暗闇を懐中電灯で照らすと一瞬そこは明るく光りますが、懐中電灯をそらすと再び暗闇が支配してしまいます。

しかし、暗闇の中心に光を置くとき、ろうそくの炎のように暗闇の中心から光が照り出し、闇は光を消すことはできません。

エスキリストを罪人を救うためにこの世に来てくださったということば真実でそのまま受け入れるに足るものです。

エスキリストは、失われた者を探して救うために来られました。

3:あなたの人生が喜びに満ち溢れるようになること

救い主であり、光であるイエスキリストを自分の心の中に受けいれる者は誰でも、心の闇の中心に光が差し込むことを体験します。

『イエス様、あなたを私の救い主、私の光として心の中に受け入れます』と信じて祈る者は誰でも救われます。

闇の中にあったあなたの人生は光で満たされます。それは、あなたの喜びとなり、その喜びは増し加えられていきます。

あなたの人生が喜びに満ち溢れるようになることが、救い主をこの世に送られた神様の願いです。

たとえ、あなたの人生が今闇の中にあろうともあなたの上には大いなる光が照り輝いています。今、この光に目を向け、この光を自身の心の中に人生の中に迎え入れる決心をしてください。迎え入れる決心をしたその瞬間からあなたの人生の中に喜びの光が現れます。この喜びの光は、闇が覆いつくそうとしても覆うことができない。永遠の喜びの光です。

 

祈りましょう。

エス様、今、あなたを私の個人的な救い主として信じて、私の心の中にお迎えいたします。

どうぞ、私の心の闇を追い出し、喜びの光で私の心を満たしてください。救い主イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

2019.12..14 野毛・片瀬山合同クリスマス集会メッセージ。