主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、エペソ人への手紙 2章1節。

 
そのころは。それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。2章2節


すべての人はイエス様を私の救い主と信じるだけで救われます。ではいったいどこから救われるのでしょうか。救われる以前と以後ではどのように人は異なるのでしょうか。

1節:自分の罪過と罪の中に死んでいた。

 聖書は救われる前の人はみな死んでいると言っています。確かに肉体は生きています。意志もあれば感情もあります。皆が一生懸命生きようとしているのに『あなたは死んでいる』と言われて快く思う人はいないでしょう。誰も自分が死んでいるなどと思っていません。

 聖書の言う『死んでいる』とは、人の霊が死んだ状態にあることです。人の霊とは幽霊、亡霊などのことではありません。

人の霊とは本来、神と交わるために創造された人の本質です。『神である主は、土地のちりで人を形作り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった』創2:7。とあります。この『いのちの息』によって創造されたのが霊です。

 罪過(罪の結果犯してしまった過ち)と罪(神との交わりの断絶)
という障壁のために、神との生きた交わりが出来なくなってしまい、人の霊が死んだ状態になっていると言っているのです。

 人は自分が死んだ状態であること(罪)を認めてこそ救いの必要に気が付くことが出来ます。

2022.2.13 片瀬山、茅ヶ崎集会