主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

『彼は望みえない時に望みを抱いて信じた』ローマ4章18節

恐れないでただ信じなさい。そうすれば、娘は直ります。ルカ8章50節

 

今日の主題は、前回と同じく復活の信仰、すなわち『彼は望みえない時に望みを抱いて信じた』ローマ4章18節にあるアブラハムの信仰です。
二人の信仰の共通点はどこにあるのでしょうか。
ヤイロも長血の女も人間的な、常識的な望みが消え失せてしまった後に、なお、イエス様に望みをかけたことにあります。
1,    会堂司ヤイロ
 ヤイロは会堂司という同時のユダヤ教の会堂を守る大切な務めを果たしていました。おそらく、律法の書の朗読も担当していたかと思われます。どんなに地位が高くても、人には悩みがあります。娘が死にそうであれば、なんとしてでも助けたいと親ならみな考えます。
  ヤイロは会堂司の仕事をしていながらイエス様に関心がありました。イエス様のうわさを聞きながら、この青年はなにか違う、彼が人々を癒したという噂はほんとかもしれない。しかし、当時イエス様は大工の息子で下級階級の青年、一方ヤイロは会堂司を地位のある職につき、身分も立場も差がありました。

しかし、イエス様が町にやってきたとき、彼は自分の立場、プライドを捨てイエス様に近寄り、イエス様の前にひれ伏しました。ヤイロはイエス様の中に救い主である神を見たからです。
 イエス様の御業を聞くとき、人々の反応は二つに分かれます。イエス様の御業を馬鹿にするか、イエス様の御業を信じるかです。ヤイロはイエス様の御業を信じました。
  イエス様は彼の個人的な願いに応え、ヤイロの家に向かいました。
  【自分の常識の中にあるイエス様】この時のヤイロの信仰は、娘が生きているうちに来てくださって手を置いて下されば癒されるであろうという信仰でありました。
【自分の常識によりイエス様を排除する】しかし、途中、長血の女とイエス様が関わっている間に娘は死んでしまいました。家の者はもうイエス様に来ていただく必要はなくなったという旨をヤイロとイエス様に伝えます。
  即座にイエス様は『恐れないで、ただ信じなさい』とヤイロを励まします。
 ヤイロは『そうすれば、娘は直ります』という言葉に即座に反応しました。また、次の言葉『死んだのではない。眠っているのです』という主の言葉にすべての望みをかけました。

ラザロが墓に葬られ、4日も経った後にイエス様はマリア達に墓の石を取りのけなさいと命じました。もう腐ってますというマリア達の答えに、もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見るとイエス様はおっしゃいました。ヤイロも同じです。
【ヤイロに見る復活の信仰】『望みえないときに望みを抱いて信じる』のが復活の信仰です。ヤイロはイエス様の言葉を信じました。それは、イエス様は、死人をよみがえらすことができるという信仰と同じです。

エス様は真の神、無から有を生み出す創造主、死人をよみがえらすことのできる神です。このイエス様は今も生きておられ、復活の信仰をもつものに今もご自身の御業を現わして下さいます。
恐れないでただ信じなさい。目の前にある絶望的な状況に留まるのではなく、望みえない時に、なお望みを抱いて信じる信仰を私たちも受けたいと願います。
そして、『もし、信じるならあなたは神の栄光を見る』と約束されたイエス様の御言葉の通りに、神ご自身による栄光を見て、神に賛美を捧げる信仰を得たいと願います。

2022.6.26 片瀬山集会、 茅ヶ崎集会メッセージ