しかし、罪が増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
ローマ人への手紙5章20節
主は答えられた。『もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。』
・・すると主は仰せられた。『滅ぼすまい。その十人のために。』
創世記18章26節から32節
1.一人の義人の存在
2、恵みによる義認
3,恵みによる赦し
4,恵みによるいのち
5,義人を信じる信仰
6,信仰による救いの恵み
今朝も唯一の義人であるイエス様を覚えることにより、御国が開かれ、
魂に平安を受けることができた。義であるイエス様を見つめるだけで、
御国の平安を味わい知ることが許されるとはなんという恵みであろうか。
一人の義人の存在、イエス・キリストにより、神はすべての罪人を義と認めて下さった。
この素晴らしい救いの恵みの約束は、遠く創世記にある主とアブラハムとの対話の中に示されていた。
罪が増し加わり、滅ぼし尽くされる寸前であったソドムの人々に対し、
アブラハムはもしこの町の中に十人の正しい者がいたならば、滅ぼさないでくださいと主に懇願した。主はアブラハムの執り成しを受け入れ、もし10人の正しい者がこの町にいたならばこのソドム全体を滅ぼさないと約束して下さった。
10人の正しい者の存在があれば、ソドムは滅びを免れるはずであった。
この物語はただ唯一の義なる人であるイエス様がいさえすれば、そのほかの全ての不義なる罪人をも滅ぼさないという新約聖書の約束をあらかじめ言い表わした物語である。
パウロはこのアブラハムの執り成しと主の約束を念頭に置きながら、ローマ人への手紙5章12節から21節にかけて、『一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、命を与えられるのです』という素晴らしい恵みの福音をローマの教会に伝えている。
私たちが義と認められ、滅びから免れ永遠の命を頂けたのは、
イエス様が神の御心を満たす唯一の義なる人であったことがまず先にあり、そのイエス様が私たちの罪の身代わりに裁きを引き受けて下さったことによる。
私は最近ますます、父なる神がどれほどイエス様が生涯に渡り、父なる神様の御心を満たして歩み通したことを喜ばれているか、その歩みを愛されたか、イエス様の父なる神様に向かう愛を父なる神様は喜ばれていることかと父なる神様と御子イエス様の愛し合う関係の麗しさに感動を覚えている。
父なる神様は、すべての人が罪を犯し神の御心を悲しませていたにも関わらず、
唯一神の独り子なるイエス様がただ一度も罪を犯すことなく地上生涯を歩まれたことに喜びを覚え、唯一イエス様が義を全うされたことだけで十二分に父なる神様の心は満たされ、その恩寵により全ての罪人に赦しを与えられたのである。
イエス様の義によりすべての罪人の罪は赦された、これは真理である。
この真理を信じる者にはこの真理が恩寵として与えられる。
この恩寵と真理を信じるか?このことだけがすべての人に問われている。