洗礼と共に始まったイエス様の宣教。マルコ1章9-15節
1.イエス様は常に神と共に歩まれていたので、罪を悔い改める必要はありませんでしたが、自ら遜り、罪人の受けるべき模範として洗礼を受けられました。
洗礼の目的は聖霊を受けることにあります。
公に自分の罪を言い表し、イエス様を主と告白する者は救われ、賜物として聖霊を受けます。
聖霊を頂くことによって、イエス様の宣教の働きが始められたように、私たちも聖霊を受けたのち証人としての信仰生活が始まります。
①御霊が鳩のように下る。鳩は柔和さ、平和、伝令の象徴です。私たちの心の中にも神の柔和さ、平和、証への情熱が生まれます。
②天の声が聞こえる。聖霊が与えられる時、神に愛され喜ばれている存在であることを知り、生き方の根幹が支えられるようになります。
③荒野に導かれる。御霊は証人として整えるために私たちを荒野に導きます。イエス様は荒野にて悪魔の全ての誘惑に勝利をおさめられました。
私たちも荒野に導かれますが、神の言葉とイエス様ご自身に依り頼む時、イエス様が私たちに代わって悪魔の誘惑に勝利して下さいます。
3.荒野には40日という期間が定められています。この40という数字は、神様が新しい事を始められるために備えられる準備期間を表します。
すべては恵みです。神様は私たちを苦しめるために荒野に導くのではなく、その先に神様の素晴らしい計画が待ってます。