【弟子の心得その1 通り良き管として】
昨日、テレビを見て驚いた。
世の中は、労働の対価をお金で計算する人で溢れているというのに、
聖路加病院の日野原先生は80歳を過ぎて新しい病院の院長をボランティアで引き受けたという。
世の中は、労働の対価をお金で計算する人で溢れているというのに、
聖路加病院の日野原先生は80歳を過ぎて新しい病院の院長をボランティアで引き受けたという。
世の中に対する接し方として、この考え方は主の弟子の基本だと思う。
イエス様に拾って頂いた命、失われていた命がもう一度イエス様の息吹によってよみがえった。
だから、今、生かされている。
命も、才能も、立場も、皆、自分が勝ち取ったものではなく、
イエス様の恵みによって、もう一度与えられたもの。
だから、生きる基本はイエス様の恵みへの感謝、感謝。
ただ、感謝して生きることから始まっている。
だから、今、生かされている。
命も、才能も、立場も、皆、自分が勝ち取ったものではなく、
イエス様の恵みによって、もう一度与えられたもの。
だから、生きる基本はイエス様の恵みへの感謝、感謝。
ただ、感謝して生きることから始まっている。
日野原先生も、よど号事件以来、"与えられた命"と思うようになったと言われていた。
力を抜いて、とおり良き管として、天より与えられる命の力を世に向けてスーっと流してゆく。
こんなところに弟子の心得があるかと思います。
こんなところに弟子の心得があるかと思います。