主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。マタイ10:8

【弟子の心得その1 通り良き管として】

昨日、テレビを見て驚いた。
世の中は、労働の対価をお金で計算する人で溢れているというのに、
聖路加病院の日野原先生は80歳を過ぎて新しい病院の院長をボランティアで引き受けたという。

でも、聖書の中にも、計算ではない働き方があることが記されている。
弟子たちは、イエス様から、ただで受けたのだから、ただで与えよと言われた。

世の中に対する接し方として、この考え方は主の弟子の基本だと思う。

エス様に拾って頂いた命、失われていた命がもう一度イエス様の息吹によってよみがえった。
だから、今、生かされている。
命も、才能も、立場も、皆、自分が勝ち取ったものではなく、
エス様の恵みによって、もう一度与えられたもの。
だから、生きる基本はイエス様の恵みへの感謝、感謝。
ただ、感謝して生きることから始まっている。

そして与えられているという感謝は、過去のことだけでなく、
これからも、イエス様は、新しい才能、力、立場などを
新しい環境に合わせてまた、与えて下さるという将来への希望にもつながっている。

日野原先生も、よど号事件以来、"与えられた命"と思うようになったと言われていた。

力を抜いて、とおり良き管として、天より与えられる命の力を世に向けてスーっと流してゆく。
こんなところに弟子の心得があるかと思います。