主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

白夜行の雪穂

雪穂が、最後にやりたことがあるといって、礼拝堂に落書きをし、ステンドガラスに十字架のイエス様像を投げつけるシーンは、印象的でした。

ドラマのことだから、まじめに捉える必要もないのですけれど、
信じても救われず、求めても与えられず、愛されたくても愛されないという現実に、
どれだけ、彼女が十字架の前で涙流して祈ってきたのかとか思い、つらい気持ちになりました。

そんな雪穂が、最後に神様への文句とありったけ言って、装飾品をひっくり返し、
十字架を投げ捨てた時、ほんと良かった。。と思いました。

今まで、人の前に自分の真の姿を隠し、うそをめぐらせ、生き抜いてきた雪穂。
きっと、神様の前にも思いっきりぶつかることもできずにいたのだと思います。

そんな雪穂が、本気で神様に本音を打ち明けた瞬間です。

エス様が人々の罵倒を浴び、鞭打たれ、人々に無視され、神にも見捨てられました。
でも、イエス様は人々の憎しみの十字架を素直に受けられました。
それは、そんな人々のどうしようもない、
やりどころのない現実の中にある怒りの情を引き受けるためでした。

だからもし、雪穂が本当の人物だったなら、
雪穂が投げつけた十字架をイエス様は避けることなくご自分の傷の一つとして受け止められたはずです。

雪穂がすっきりしたと言いました。彼女は気がつかなかったかも知れなかったけれど、
エス様が雪穂を新しく生まれ変わらせた瞬間だったと思います。