主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ヨハネ1:13

愛する兄弟へ

キリスト者の親であれば、子に信仰を受け継いでほしいと祈るかと思います。
祈ることは、キリスト者に与えられた特権であり、祈りの中で願うことは、
エス様も求めておられることです。

ただ、神の子とされる、すなわち、イエス様を信じることは、神様の御意志に関わることです。
親の熱意、配偶者の熱意、希望によって、つながるわけではありません。
信仰は、神様が恵みとして与えるものです。

血によってでなく・・・たとえ、両親が熱心なキリスト者であっても、血のつながりで子に信仰が伝わるわけではなく、
肉の欲求や・・見栄や財産や誇りのために、子供には信仰をついでほしいという願いは、肉の欲求に過ぎません。
人の意欲によってでもなく、・・・この人をキリスト者にしたいがためにと、人為的に環境を整えたからといって、信仰を受けるわけでもありません。
キリスト教の教養や習慣を身につけることはできるかもしれませんが。

もちろん、主の憐れみによって、その家系に信仰の継承が与えられることは多くあります。
しかし、信仰は基本的に一世一代の神様との関係です。

同様に、教会を担う世代の交代は、人の熱心や肉の欲求や意図的に為されるものではありません。
教会を支えるのは聖霊であり、教会の主はイエス様です。

ですから、教会の存続の心配などは、主に委ねて己の信仰を全うするだけでよいのです。