御霊によって歩みなさいという命令は、私たちの宣教の働きに対するものではなく、私たちの人間関係に関する主の命令です。律法の全体は、人は神を愛し、そして人を愛するという、主の互いに愛し合いなさいという命令に集約されます。
イエス様を信じ、罪が赦され、永遠の命が与えられ、御霊を宿す者と変えられた私たちです。
しかし、現実には、互いにかみ合い、食い合い、お互いを裁き合い、責め合い、このような態度をとり続けているなら、
教会内での人間関係であれ、夫婦の関係であれ、また親子の関係であれ、お互いの間で滅ぼされてしまいます。
なぜ、私たちはいつの間にか互いにかみ合うようになってしまうのでしょうか?
それは、私たちが、再び、善悪を知る知識の木からとって食べるようになってしまったのではないでしょうか?
私たちは、アダムとエバのように、命の木から食べることもできれば、善悪の知識の木からも食べることが許されたのです。善悪の知識の木から食べれば、私たちは再び高慢になり、他人を責め、さばき、自分の罪を隠すようになります。
命の木から取って食べれば、御霊の実を結びます。
御霊によって歩むとは、命の木を選択していくことです。
2011.9.17集会メッセージ要約。