主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。マルコ1:34

エス様に対する偽りの言葉に気をつけなさい。

ナザレのイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。マルコ1章24節
 
偽物というのは、本物にどこか似せているから偽物となります。
聖書を正しく学び、イエス様に対する偽りの言葉に惑わされないように、注意する必要があります。
 
最近また、朝、通勤途中、駅の広場にものみの塔の人々が看板を持ち、
何も言わずに『聖書を読みませんか』というプラカードを掲げています。
他宗教の方の伝道としては、よくやっているなあと思いますが、
『聖書』という言葉を使ってほしくないなあと思います。
本物の聖書を知らない人は、偽物の聖書に騙されてしまいます。
 
マルコ1章でイエス様が会堂でお話をされている時、悪霊が叫びました。あなたは『神の聖者です!』
何気なく聞き流すと悪霊はイエス様のことを良く知っているものだと感心してしまいそうです。
しかし、イエス様は神の聖者ではありません。
エス様は、神の御子であり、キリストです。そして、私たちと同じ肉体をもった人です。
しかし、罪を犯さなかった。
聖者という考えは、イエス様が人としての最高位にたどりついている、人として最もえらいということです。人は、修行を通して神にたどりつけるという考えです。
これは、まさに、イエス様を神・キリストと認めない悪霊の考え方そのものです。
ここに、悪霊の用いた偽りの言葉が紛れ込んでいたのです。
ものみの塔はイエスの名を出しますが、イエス様は、救い主・キリストではありません。
 
一方、バプテスマのヨハネはイエス様のことをどう証言したでしょうか?比べてみましょう。
『見よ。世の罪を取り除く神の子羊』と言った。ヨハネ1:29
ヨハネはイエス様のことを罪からの贖い主・キリストであることを端的に言い現しています。
そして、ヨハネ自身は私には靴ひもを解く値打ちもないと告白しています。
なんという大きな違いでしょうか。
 
まどわされてはいけません。
エス様を偉人として、神として認めない考え方。
あるいは、イエス様を神として、人と認めない考え方。このどちらもイエス様を現してはいません。
エス様は、悪霊が誤った思想・偽りを言い広めることを許されませんでした。
今、不法の時代です。偽りの教えに振り回されないように注意していきましょう。