主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

失われた人を探して救うために来られた。ルカ19:10

『キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、
そのまま受け入れるに値するものです。                   Ⅰテモテ1:15
クリスマスを祝う前に知っておきたいことが二つあります。
①なぜキリストはこの世に人の子としてお生まれになったのでしょうか?
②私たちはどのようにクリスマスを祝えばよいのでしょうか?
この2点について学びたいと思います。
 
①なぜキリストはこの世に人の子としてお生まれになったのでしょうか?
聖書は、神の言であるキリストが2千年前に、人の姿をとってこの世に来られたのは、
『人の子は、失われた人を探して救うために来たのです』(ルカ19章10節)と自ら証言しています。
 
エス様は、失われた人を探すためにこの世に来られたのです。
 
私たちは、自分の考えが確かだと考えます。自分の意志でしっかりと人生を選びそして歩んでいると考えます。
しかし、神の目から見て、私たち人間は、失われた者であるのです。
 
イザヤ書53章6節には、
われわれはみな羊のようにさまよい、、おのおの、自分かってな道に向かって行った。
と記してあります。
家畜である羊は羊飼いがいなければ食物にありつくことができず、
狼などの野の獣に食い殺されてしまう弱い存在です。
 
神様から見て、私たち人間の歩みは、羊のようにさまよっている存在であり、
一人ひとりが行き先を知らずに自分勝手に歩んでいると見ているのです。
 
人は、主人を見失いどこへ行くかを知らずに歩んでいる失われている存在です。
人は、主人を見失ったために、自分勝手に偶像を作り、偶像に従って歩んでいる存在です。
その行きつく先は、滅亡の道です。
互いにねたみあい、いがみ合い、競争しあい、金儲けのために一生懸命に駆り立てられている、
それが失われている人間の姿です。
 
そうです、人は創り主である神を失って生きているのです。
創り主に愛されていることを知らずに、自分勝手な偶像をつくり生きているのです。
神様から見て、そのような人間は失われていると言われるのです。
このような私たちを探し出して、本来いるべきところである神様のふところに連れ戻すために、
エス様をこの地にお生まれになったのです。
エス様は失われている私たちを探し求めています。
 
②私たちはどのようにクリスマスを祝えばよいでしょうか?
1:イエス様を救い主として心の中に受けいれることです。
自分勝手にさまよって生きていることを素直に認め、イエス様の名前を呼び求め、素直にイエス様に助けを求めること。そうすれば、イエス様は私たちの心の中に入って来てくださり、救いを与えてくださいます。
救われるとき、私たちの心の中にはこの世の中では得ることのできない平安が宿ります。
2:イエス様を神様であると告白し、イエス様をまことの神と信じて、イエス様に礼拝を捧げることです。
エス様は2千年前に、ユダヤベツレヘムの馬小屋で生まれました。布に包まれたひとりの赤子でした。
しかし、この方は、私たちを罪から救う救い主、すべての主権の上に立たれる王となる御方でした。
この方を自分の人生の主人、導き手であることを信じて、告白することです。
 
メリークリスマス!
2012.12.15 クリスマス集会