主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。Ⅰコリント10章13節

パン裂き礼拝にあずかる祝福
~偶像礼拝を逃れる道はどこにあるのか~
私たちは、試練に遭うときこそ、真の神に立ち返り、真の神のみにより頼むことが大切ですが、肉の弱さのゆえに偶像礼拝に陥りやすいものです。
しかし、13節から17節にかけてのみ言葉は、そのような私たちに対して、パンと杯に与ることによって、偶像礼拝から逃れるように勧めて下さっています。
13節:神が真実であるとは、何よりも神様が私たちを愛して下さっていることにおいて真実です。神様が私たちを愛して下さることにおいて嘘・偽りはないことが、私たちが試練に耐えうるための根拠となります。
神様は真実であるので、
 耐えられないような試練は与えられない
 試練を与えることを許しておられるのは神である
 耐えられるように逃れの道を備えていて下さる
と、聖書は言っています。
では、逃れの道とはどこに備えられているのでしょうか。
15節:『分別のある者』とあります。それは、十字架の奥義をよくわきまえて、その価値と大切さをよく知るようになったものということではないでしょうか。つまり、イエス様の十字架を通してこそ、私たちは、父なる神様を礼拝する者へと変えられ、また、主の十字架の足元に逃げ込むことこそ、激しい嵐の試練を逃れることのできる平安の場であることを知る者であるということです。ではどのようにして、主の十字架を知るのでしょうか。
16節:『自分で判断しなさい』と言っています。『キリストの血にあずかること』『キリストの体にあずかること』は、私たちが偶像礼拝を心から悔い改めて、真の神であるイエス・キリストへの礼拝そのものであることをわきまえていますかと各人に判断をゆだねています。私たちは誰でも、いつ大きな試練にあって倒れそうになるか予測が尽きません。主の日ごとにパンと杯をいただくことを通して、偶像から離れ、主ご自身に逃れるという『逃れの道』を主ご自身が備えていて下さったことは、計り知れない神の知恵であり、残された私たちへのイエス様の愛の表れであることを学び、尊い主イエス様の御名を褒めたたえるほかありません。
2017.4.30 要約 中野パークサイドチャーチ、茅ヶ崎集会