主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

老人は夢を見る    使徒2章17節

老人は夢を見る 使徒217

この夢とは、寝ている時に見る夢のことではありません。
起きてみると消えてしまうはかない夢のことではなく、将来において、神の
言葉の約束に基づいて確かに実現する夢のことです。
これは、御国の完成の姿をいつも夢みるようになるということです。
 
ヨエル書の預言の中に、『老人は夢を見る』の一言が含まれていることは、何と年老いた者たちに生きる希望と喜びを与えて下さることだろうか。
私は、とても素晴らしい神様の憐れみ、老人に対する憐れみ深いプレゼントだと気がつきました。
神様が聖霊を注がれたのは、神様の温かな愛の配慮のみ手であることを教えられる。
 
伝道者の書121節に「あなたの若き日にあなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って『わたしにはなんの楽しみがない』と言うようにならない前に」とあります。年をとってから、たのしみを見つけることは難しいことかも知れません。実際、体は弱り、自由に動けなくなり、病の心配があり、知り合いも少なくなり、交流も減ってきてしまいます。造り主を知らない者にとって、死をただ待つばかりの毎日ということは、現実のことです。私は、訪問看護の仕事をしながら、そのように生きている年寄りにたくさん接してきています。
これら人たちに、世の楽しみ以外に、神様が用意して下さる御国を待ち望む楽しみ、
すなわち、夢を持つことができたらどれだけ素晴らしいだろうかと思わざるを得ません。
 
年老いていく者に、夢を見ることができるという素晴らしい恵みを用意される主はなんと素晴らしい御方でしょうか。
 
どんな御国の完成の姿を夢見るのでしょうか。
    復活の夢
最後のラッパが鳴るとともに、たちまち一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、私たちは変えられます。Ⅰコリント1552
    再会の夢
すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、私たち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。Ⅰテサロ416
    完成の夢
このようにして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。Ⅰテサロ417
 
見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも苦労もない。最初のものは過ぎ去ったからである。黙示21章3,4節
 
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はいない。それはだれの心にも上ることはない。
わたしはエルサレムを喜びとし、わたしの民を楽しみとする。
泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。イザヤ651719
 
このようにして、聖霊が注がれると、老人は、救いの完成の夢を豊かに心に抱くこととなるという約束ではないでしょうか。
若者は、伝道に熱心であっても、まだ救いの完成にまで、こころが及ばないこともあるかと思います。年寄りは、伝道しようにも体が思うように動かないにしても、
救いの完成の夢を心にいだき、いつも喜んでいます。
若者が、教会のお年寄りの話を聞けば、いつも救いの完成を夢見ている、そして喜んでいる、そのような姿を見るならばなんと麗しい教会の姿でしょうか。
 
老人は夢を見るという視点から、聖霊に満たされることの大切さ、必要性を教えられます。
たとえクリスチャンであろうと、心が聖霊に満たされていなければ、私たちの心は、不平、不満、愚痴、なげき、悲しみに陥ってしまう。それは、世の人と同じです。聖霊に満たされることによって、老人は夢を見るという約束が成就されるのです。
それゆえ、聖霊に満たされることを願い求める、待ち望む、そのような信仰の姿勢が私たちの側には、求められています。
 
私たちの集会が、御国の到来を夢見る群れ、救いの完成を夢見る群れ、となれることは幸いであると思います。
2018.7.22 茅ヶ崎集会メッセージ要約