主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

信仰生活の始まり、荒野から荒野へ

マルコによる福音書1章1節から13節
信仰生活の始まり。
1:神様は試練の中にいるあなたを知っている。 試練は神に救いを求めるための備えの道です。2節から3節
2:あなたの思い違いをしってほしい。 行いによらず信仰によって救われる。4節から6節
3:新しく生まれ変わるのは、聖霊による。肉によらず御霊によって、7節から8節
4:新しく始まる信仰生活への備え。9節から13節
バプテスマを受ける。クリスチャンになりたい人へ。
②試練に備える。クリスチャンにも試練はあります。
 
1:荒野とは、人生の試練、苦しみ、嘆き、葛藤、絶望、死への恐怖と四苦八苦の世界です。
四方八方道がふさがれている現実に直面している時、
そんな荒野の中にこそ、神様からの御声があることを知りましょう。四面楚歌の状況にあっても、神様はすでにあなたのために道を備えておられます。自分勝手にあちらこちらに道を敷き、どこへいけばいいか判らなくなっている人は、今こそ、道を整理し、主の備えられた一本の道に歩むときです。
 
荒野は、救いへの招きの場です。
あなたへの救いの招きの声に耳を傾けなさい。
Ⅰコリント10:13
詩編119:71
イザヤ63:9
2:救いの道は、人の行いや努力、修行、苦行、悟りによって得ることはできない。
自分の罪を認めることは大切ですが、自分を深く見つめれば救われるのではありません。
今は、悔い改めの行為によって救われるのではなく、イエス様を信じることによって救われます。
人のどんなに立派な行いも、人の罪を清め、神に至ることはありません。バプテスマのヨハネはそのことを明言しました。あれほど、立派であったヨハネでさえ、人の罪を赦すことはできず、人を神のもとへ、天国へ連れ行く力はありませんでした。人の罪を赦し、天国へつれ行くっことができるのはイエス様のみです
エペソ2章7,8
3:聖霊のみが人を新しく生まれ変わらせることができます。
クリスチャンになるとは、言い換えれば、心の中に御霊を宿すことです。
聖霊が心の中に住んでいなければ、その人がどれだけ、聖書の知識に優れていても、キリスト教の教養があっても、クリスチャンではありません。
人を救うことのできるのは、ただ唯一神より与えられる聖霊バプテスマのみです。
エス様の御名を呼び求めることによってのみ、心の中に聖霊が与えられ、クリスチャンとなることができます。
聖霊バプテスマは信仰生活の始まりであり、また、人を日々キリスト似姿に作り変えることのできる力であり、
人々を弟子とし、そして、復活の証人として全世界に働き人を送り出す力です。
ヨハネ3章5,6節
使徒1章5節
イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。使徒2章38節
使徒19章1~5節
4:信仰生活の始まりとして、信仰を告白し、水のバプテスマを受ける。
その結果、信仰を告白したときから、
聖霊があなたに望み、聖霊があなたのうちに住まわれる。
聖霊の証印が押され、あなたは愛されていることを知り、神の子供として神様が喜んで下さっていることを知る。
主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。ゼパニヤ書3:17
②新しいクリスチャンは、再び荒野へと導かれることを知る。
救われる前も荒野でしたが、救われた後も荒野へと再び導かれます。しかし、最初の荒野の時と、クリスチャンとなってからの荒野の時は、まったく違います。何が、違うのでしょうか?
1:御霊によって導かれます
2:荒野の中でも、神に愛されていることを知っています。
クリスチャン生活を始める上で、神様に愛されているという確証を心の中に受けることは非常に大切です。
神に愛されているにもかかわらず、愛されていることを知らずにいるクリスチャンはその生活が不安定で、奇跡や感情や驚くべき御業などを追い求めやすく、また、教会の規則を守ること、倫理的な生活を追求するなど律法的なクリスチャンとなりやすいものです。神はあなたを愛しているという中心をしっかり押さえておけば、どんな試練がきても、神を疑うのではなく、この試練の中で、神様の御心はどこにあるのだろうかとよりいっそう神に近づくようになります。
3:御使いが共にいてあなたを支えてくださいます。
荒野の試練、サタンの誘惑をすべて退けられたイエス様が共におられます。
4:荒野においてどのように対処すればよいのか知っています。
すなわち、イエス様の懐に逃げ込んでいれば安全であることを知っています。
誘惑において、大切なことは、自分ひとりで誘惑に勝てると思わないことです。
人が生身でサタンの誘惑にあって、その誘惑に勝てる人は一人もいません。
誘惑にあうならば、
①まず、自分の弱さを認め、イエス様によりすがることです。
②そして、自分自身は、誘惑から遠ざかるようにしましょう。
③もう一つは、教会の交わりの中に身を避けることです。教会の交わりの中には、神の力が働いていて、誘惑を退ける力となります。
④もう一つは、聖書の言葉を心の中に蓄えることです。御言葉を宣言することを続けるとき、誘惑は薄らいでいきます。
いずれにせよ、さきほども書きましたが、人が一人でサタンの誘惑に勝てるというような高ぶりに陥らないことです。サタンはそのような人の高ぶりを喜ぶのです。
あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。Ⅰコリント10:13
2012.6.30 集会メッセージ要約