主イエス・キリスト・       御言葉の黙想

み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。詩篇119:130

あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。ルカ1:31

神様からの召命。予期せぬ出来事を受け入れていく

マリアにとって、受胎告知は全く予期せぬ出来事でした。
しかし、マリアはその告知を拒否することなく、神から発したことであるならば、素直に受け入れますと従順に従う道を選ばれました。

私にも時々、まったく思いがけない予期せぬことが起こります。そのような時には、これは、神様からの知らせではないかと思い巡らすようになってきています。

思いがけないからこそ、(言い換えれば、自分の想定内のことは自分で対処できる、)
神様からの知らせであり、そこになにか恵みが隠されているのではないかと立ち止まって考えてみる。

あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。ルカ1章31節

身ごもるとは女性の体に変化が生じてくること。今までになかった変化を受け入れていくことを、子を産むすべての妊婦は受け入れていかなければならない。
神様からの召命を受け入れていくということは、
そのために、まず自分自身に変化が生じていくことを受け入れていかなければならいということ。
自分自身の考え方や、感じ方や、振る舞い方、自分の内側に生じてくる変化に耳を傾け、その変化していく自分を慈しんでいかなければならない。

御使いは、男の子を産んだならその子をイエスと名付けるように命じられた。
マリアは神の御心のままに、イエスを宿すことを受け入れ、産まれると命じられたとおりにその名をイエスと名付けた。イエスとは、主は我らと共にいますという意味であることを私たちは聞いている。

つまり、変化を受け入れた結果、神様の用意された新しい世界、新しい命が産み出されることになるが、その新しい世界は、’インマニュエル’神、我と共にいますという名をつけることのできる世界なのである。


『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。』ルカ1章30節

マリアは、その名がイエスであることを御使いから聞いたとき、不安の中にも希望を見いだし、恐れないで子を産もうと信仰を抱いたのではないでしょうか。
予期せぬ、思いがけない出来事により、自分自身が変化させざるを得ないとしても、そのこと自体恐れるものではなく、恵みであり、変化の過程の中にも神の恵みがあり、新しく産まれた、新しい世界は、主が共におられることを信じていく。

聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む』ルカ1章35節

この変化を進めていくのは、自分の力ではなく、聖霊による。いと高き方の力が私を包むことによって成し遂げられていく。

思いがけない出来事が私たちの前に開かれることがあるとき、自分の想定とは違うとすぐに拒否してしまうのではなく、そこに神様からのなにか新しい召しが隠されているのではないかとふと立ち止まって考えてみる。自分が変わらなければならない不安感もあるかもしれない。しかし、その変化の先には、イエスという名、つまり神が我らとともにいますという世界が広がっているということを信じることができるなら、その変化に身を委ねることもできるのではないでしょうか。

2017.12.10 茅ヶ崎集会